周りに安定をもたらせない女は女じゃない><!

周りに安定をもたらせない女は女じゃない><!

 

現代の女たちが、不安発で子どもたちをコントロールしようとしています。
「男の考えを知りたい」=「男を自分の好きなようにコントロールしたい」?)

本来(=自然の摂理から見れば)、女は生殖存在ゆえに安定・充足を担ってきた性のはず。 一体、なぜ不安に陥ってしまうのか?その不安はどこからくるのでしょうか?

村落共同体における女たちの有り様を、引き続き宮本常一氏(1907~81。昭和初期から戦後にかけてフィールドワーク調査を実施。武蔵野美術大学教授)の著書「女の民族誌」をヒントに考えてみたいと思います。
古来、女には属する集団(共同体)において多様な役割がありました。男の役割、女の役割

庶民の歴史のなかで、ほとんどあきらかにされていないのは女性の歴史である。人口の半ばは女であった。それにもかかわらず女についての記述は少ない。では女は無視せられていたかというに口頭伝承の大半の役割をひきうけていたのが女性であった。家々の伝承にしても、それは女性によって語りつがれたものが多い。関東・東北地方のように父系家族制のつよいところでさえ、家の伝承は多く女によってなされている。女が伝承者であるならば平安朝の女性のように文字を持ってもいいはずだが、文字を持つ機会はきわめて少なかった。とくに男の世界と女の世界にはいろいろの点で差が見られ、男の生活の場が多く村であったのに対して、女は家であった。労働も家族的生産については男女ともに働いたが、村夫役のような仕事になると、それは男の仕事とされた。 伝承は村里生活を中心にしてなされるものが多く残る。つまる伝承は村の共有知識であることが必要であった。しかしそういう場へ女の出ることが少なければ、おのずから女についての伝承は少なくなる。その上家々のなかでつたえられる伝承は、村一般の伝承になることは少なかった。 男と女とはその作業に差があった。そこでまず女が何を分担して来たかを見ていく必要がある。みんながいっしょになってやる家族的な生産にしても労働の分担には男女の区別があった。農作業にしても耕起や砕土は男の仕事であるが、種まき、田植えは女が主になった。その他の生産や生活のなかに男女の作業の区別がはっきり見られる。

五月をサツキとよび、田植えする女をサオトメとよび、田植えはじめをサビラキ、またはサオリといい、植えしまいをサナブリまたはサノボリというところから見れば、サは稲のことではなく田の神であったらしいのである。(中略)  かくのごとく田植えが古い神事であってみれば、女の奉仕はむしろ当然であった。女が早乙女になるには古くは山にはいっていわゆる山あそびをしなければならなかった。これで山の神を身につけたのである。(中略) そうして田植えのすんだ夜はサナブリ祝いがなされ、田主の家の庭で庭おどりをしたというのは神エラギすなわち神をなぐさめたものであった。かくて今日までなお田植えは女性の管理になっている。

古い日本においても一族の祭る神はこれにかしずくものが神がかりする女であったようである。(中略)

 事実山々の祭祀を女性が司っていたことは柳田先生が『女性と民間伝承』でとかれているところで、農夫木樵(きこり)の類が山中に入って美しい女性を見かけた話の各地に多く分布しているのは古い時代の祭祀の思想がなお今日に残っているがゆえんであると思う。その美しい女の多くは水のほとりにいて機(はた)をおっていたというように語られているのは、神の祭祀に美しい水の必要であったためでこれによって身を清めたのである。山の神に対して海の神にも女性が多かった。(中略)  さて山の神海の神は女性であったがゆえに女性が仕えたのではなく、女性が仕えたために多くが女性化されたとみるべきである。それは彼女らが神がかりによって演ずる口承文芸がそのまま第一人称をもってなされたからである。彼はこういうことをした、というように語るのではなく、私はこうしたと語るのである。  かくして神に仕えるもの自身も、自分が神を祀るものであるか、それとも自分が神自体であるか分からなくなっている。とにかく神と人との区別はつかなかったようである。かくのごとくして神を迎え送っていたのである。

いかがでしょうか。

女はなんと多様な役割を担っていたことでしょう。
日本の共同体社会において、生産とはやおろずの神々(精霊)によってもたらされる恵みを得る行為であり、だからこそシャーマン(巫女)として神々と繋がる女性達が豊穣を祈り、その生産行為を担ってきたのだと思われます。 他にも、女性達はシャーマン的役割として、家を護る神である火の神=囲炉裏等の管理や、恵みを神に供える行為としての食物の調理、酒(今日のような大掛かりな醸造ではなく、濁酒の生産)や餅の製造も担っています。
子育てはもちろん大事な課題ではあったでしょうが、それとて娘宿や若者宿など村落共同体で成長を育めるような組織(体制)がありましたし、村全体で子どもを育てるといった環境があったので、女個人にその役割が限定することはありませんでした。
現代の女(母親)たちがお膳立て症候群に陥り、子どもを囲い込み、活力を奪ってしまうのも、

1.村落共同体(地域)が解体され、核家族化し、女が担っていた従来の多彩な役割が失われたこと

2.近代技術の進歩で家事が楽になり、暇になったこと

3.それにより(特に専業主婦は)母親の役割が子育てだけになってしまったこと。

そうなると、子どもは母親とは別人格なのに、母親自身の評価に直結してしまうのです。きちんと(世間が求めるような)子どもに育てることが、母親の存在意義となる。これでは、母親自身の評価不安から思い通りに子どもをコントロールしよう、に陥るのも無理はありません
自然の摂理に則って安定・充足を性とする女にとって、役に立てる場が多いほど充足は広げていけますし、充足が広がれば広がるほど、ますます安定していけるという好循環。

何より、母がみんなのために忙しくしており、それで子どもは放ったらかし(笑)くらいのほうが、子どもはのびのびと育つし、そんな親を子どもは見て育ってくれるもの。女が子育てだけでなく多様な役割を担っていくことが、一つの突破口だと思います。

私自身も共働きですが、他の役割を担うために子育てを協力し合う、くらいがちょうどよいのかもしれません。