縄文時代以前から複数のルートで移住してきた

  縄文時代以前から複数のルートで移住してきた
 
   

 縄文人の出自について結論が出ていなかったようなので、北方適応との関係だけは押さえておきたいと思います。
 5万年前スンダランドで独自の進化を遂げていた人類は、北や南へ拡散していきます。オーストラリア原住民の祖先は、4万年前にはスンダランドから海を渡っていました。スンダランドから北上した人類が東アジアに達するのは2.5万年くらい前とされています(ここまでは北方適応していない)。さらにシベリアに達し北方適応するのは2~1万年前です。
 “縄文人”とは以上のうちの「どこかからこの頃に」海を渡って本土にやってきた部族の総称と言えるでしょう。ここでは上記の北上過程を当時の地形図に重ねてみて、海流や対岸の距離などから、日本本土への渡来ルートとして有力と考えられる案を、時系列に整理してみます。

■1.【4万年前以降】スンダランド付近(東南アジア)から黒潮に乗って海を北上し、台湾や南西諸島を経由して九州や四国、本州南岸に辿り着く。
■2.【3.5万年前】海沿いに北上する途中(江南地方あたり)から黒潮に乗って北上し、台湾や南西諸島を経由して九州や四国、本州南岸に辿り着く。
■3.【3万年前】海沿いに北上する途中、中国東岸から東シナ海を渡り九州西岸に辿り着く。(このルートからは朝鮮半島南部にも辿り着くはず)
■4.【2.5万年前】朝鮮半島の付け根を横切って北上し、半島東岸部から親潮に乗って本州、北陸地方沿岸部へ辿り着く。
■5.【2.5万年前】朝鮮半島を一旦南下し、半島南岸部から対馬を経由して本州、山陰地方沿岸部へ辿り着く。(後の弥生人の大量渡来と同じルート?)
■6.【2~1万年前】シベリヤから、樺太~北海道を地続きに南下し津軽海峡を渡って青森に辿り着く。≪ここが北方適応か否かのポイント≫
■7.3500年前以降;寒冷化に伴い北東アジアから南下する過程で、5・6と同じルートで本土へ辿り着く。(中国や東南アジアにも北方適応部族が増える)
 以上、縄文時代以前から日本本土にいた人々は、概ね同根の南方部族であり、6以降、縄文時代に入ってからは、北方適応部族の渡来もあったと考えられます。(しかし5以前のルートからの渡来も途絶えたわけではない)
 こうして日本本土内で“様々な出自の部族”が、地域によって一定の傾向を示しつつ同時期に共存していたのが、縄文期本土の部族分布状況なのでしょう。
 しかし、大陸内においても北方適応以前と後では、明らかに異民族・異人種であり、交り合うのは、その「必要」が生じた以降のことだと思います。