2:縄文人と弥生人 ・縄文人

取扱注意事項

次の症状は異常ではありません。仕様です。

 

◆ 「よ~い、ドン!」と言うと人より少し早く動きます

◆ 嘘をついている時、右上を見ます。

◆大概の人の気持ちを察知することができ悪く言えばずる賢く立ち回ることができます。

◆文字との付き合いは教科書以外便所の隙間目張りに張っていた愛媛新聞の切れ端をほぼ1年読んでいた。そもそも家に貧乏で雑誌そのものがなかった。 小学校高学年の時、隣の山師夫婦から川口恵瓊のチベット旅行記?探検家(コロンブス。キャプテンクック、アムンゼンマルコポーロ、他)の当時としては高価な小難しい本を数冊頂きこれを読み漁ったふり仮名はなかったような?

◆興滅流れ、行方知れず、頑張る。楽ばる。遊ばる。死に急ぎ、死にこじれ、自のおろそかきを知る。 1:日本人のルーツ    平成29年2月22日 日本人のルーツが核DNAからほぼ解明された。アイヌ、沖縄 の混血種族は少数ゆえ淘汰で ご時世深く追求せず、縄文、弥生人、日本人はグローバル化で純潔日本人がいなくなった。数千年後?南北アメリカ、オーストラリアの原住民を思うと数百年後もあり得るのでは?

2:縄文人弥生人 縄文人

一般的に日本人のルーツは縄文人弥生人によって出来上がったとされています。縄文人とは今から約1億6000年から約3000年前までの約1億3000年という気の遠くなる長い年月を生き抜いて、北海道から沖縄まで日本全土に定住して縄文文化を各地に残し、狩猟や採集を中心とした縄文時代を築きあげて来た。いずれにしても旧石器時代後の新石器時代縄文文化を築きながら生き抜いてきた私たち日本人のルーツとして重要な時代であった事は間違いないようだ 弥生人 一方、弥生人と呼ばれる人々は、弥生時代つまり今から約3000年以降に大陸から日本列島に渡来し在来の縄文人と交わりながら弥生時代を築きあげて来た人々を差します。つまり弥生人には、縄文人弥生文化という新たな文化を受け入れた人々(縄文系弥生人)と純粋に大陸から渡来してきて新文化を形成した弥生人(大陸系または渡来系弥生人)、そして、その両者が交わり混血となって生まれて来た人々とその子孫(混血系弥生人)とに分けられるというのです。要するに、現在の日本人はおおよそ縄文人弥生人の混血で出来上がったものと思われ、彫りの深い顔立ちの縄文系や”テルマエロマエ”でそう呼ばれていたように”平たい顔族”の弥生系、またはストレートな髪の人、くせ毛の人など中国人や韓国人と比べても多少違う顔立ちの人が目立つようです。 

あなたは縄文系?それとも弥生系?

ちなみに僕は南方系日本人?ったぶん”ブチャイク、平たい顔族”の代表みたいだからでしょうか?

上記表をご覧になるとおおよそどちら系の血が濃いのかわかるようです。但し、混血には違いがありませんからどちらの特徴もほとんどの人が持っているものと推測されますが。私を例に挙げるとすると、背が低く青年期はやせ形、髪の毛はくせ毛、ウィンクはでき、耳垢は湿っています。

そして、血液型はA型であることから縄文系の様ですが、残念ながら顔は前述の通りで平たく鼻も高くありませんね。

全体の2割程度は縄文系の様ですが他は弥生系の血を引いたようです。ざっくりですが、興味のある方はそれぞれに照らし合わせてみたら面白いかもしれませんね。 ・核DNAとミトコンドリアDNAの違い

核DNAとミトコンドリアDNAの違い、さて、一昨年NHK、「サイエンスZERO」で日本人のルーツを探る上でとても興味深い話をしていました。 なんと、核DNAを解析する事で縄文人の謎を解き明かすことが出来たというのです。これは正にビッグニュースなのだといいます。考古学=発掘=遺物照合=年代推測~~~が推測方法? 番組にそってその謎に迫ってみたいと思います。 これまでも、縄文人のDNAは解析されてきたのですが、それはDNAのほんの一部でしか無かったようです。 Y染色体と石器や土器の研究から、バイカル湖付近から数万年前に渡ってきた人々が日本人の祖先。その後、米とともに長江流域から渡ってきた人々との混血。 一般的にDNAと言うと、核の中にあるDNAを指しますが今まで分析されてきたのは、ミトコンドリアという機関の中にあるDNAでした。ミトコンドリアDNAは一つの細胞の中に数百から数千もあるといわれており、沢山あるからこそ残りやすく分析もしやすいと言われているのです。しかし、ここに大きな問題がありミトコンドリアDNAの塩基の数は約1万6000個とサイズが非常に小さかったことです。

 

それに対し、核DNAの塩基は約30億個と非常に多くの情報量を有しておりそのDNAの解析が出来れば、その謎に迫ることが出来るのですが核は細胞の中にたった一つしかなく残りにくくて解析も非常難しかったようです。 ところが、2014年国立遺伝学研究所のチームリーダーである斎藤成也教授を中心として貴重な縄文人の骨を利用する事で今までのミトコンドリアDNAだけでなく核DNAの分析に成功する事が出来たというのです。 核DNAの採取に成功生命の設計図、DNAはあらゆる核の中に存在していますが、DNAを構成するのは延々と並ぶ4種類の物質で、塩基と呼ばれています。塩基はA,T,G,Cであらわされ、生きている人からは唾液などから容易に採取することが出来るのですが、古代人の場合には残された骨からDNAを採取するしかありませんでした。 ところがその骨の多くは、分解がすすんでいてDNAがほとんど残っていない為に分析できる可能性はほぼ不可能だと考えられて来たのです。 そこで、斎藤教授は縄文人の核DNAの解析をするために、ある作戦を立てたのです。それは、全国各地に残っている縄文遺跡の内で骨が多く残っている遺跡の内で、DNAが分解されずに残っているだろう寒冷地の遺跡に狙いを定めたわけです。 そこで選ばれたのが、福島県の三貫地貝塚に目を付けました。1950年代に発掘された、三貫地貝塚は今からおよそ3000年前の遺跡であり人骨の出土数は国内最大規模を誇り、これまでに100体以上も見つかっているのです。 研究チームの一人で人骨の管理をしてきた東京大学総合研究博物館の諏訪 元教授は、どうすれば人骨から効率よく核DNAを採取する事が出来るかと斎藤教授と話し合いを進めたきた結果として、歯の内部からDNAを採取することを思いつきました。歯の内部は、顎の骨により覆われているために外気にあたる事が無く核DNAの残っている割合が極めて高かった事から、歯の歯根部(根本)を切断して中を採取することを相談のうえ提供をしたのです。

引用:NHK”サイエンスZERO” 以下の画像も同様に引用いたしました。そこで、艶があり保存状態の良い奥歯に狙いを定めて男女2体の核DNAを採取することに成功したのでした。ところが、その後の作業も困難の連続でした。 作業を担当したのは、国立博物館の神澤秀明研究員でしたが、日本では古代人のゲノム分析をやった前例がなかったことから、歯の内側を削り取ってその中から核DNAの採取を試みたのです。 しかし、調べてみると本来数百万から数千万繋がっている塩基が百以下までバラバラになっていたのです。

 

その上、抽出した97パーセントまでがバクテリアなどの別なものだったのですが、それでも残り3パーセントの中から縄文人の核DNAを読み解くことに成功したのです。 解明された核DNAの凄さとはこれまでミトコンドリアDNAから古代人を研究してきた専門家の国立科学博物館人類研究部長の篠田謙一さんは、核DNAから塩基を読み解く方法がこれまでのミトコンドリアDNAから読み解く方法とはまるで変わったことなど革新的な進歩であることを話されていました。「技術革新により、大量のDNAを読み解くことが出来るようになったことが大きく、縄文人の解析にも大いに役立つことができました。」

これは、核DNAから読み解いた塩基の極一なのですが、実際には一億以上もあるのだそうだが、縄文人の塩基は30~50個くらいにブツブツと切れておりどうしてもこのように隙間が出来てしまう様なのです。

さらにこの核DNAの塩基配列には、量だけではなくミトコンドリアDNAと比較して親から子にどの様に受け継がれていくのかに注目すべき点があったのです。

まずは、ミトコンドリアDNAの特徴ですが、母親から娘にしかDNA伝わって来ず父親のDNAデータは伝わって来ないと言うのです。

 ところが、核DNAからは、両親のDNAデータが取り出せるとともに、過去の沢山の祖先のDNAに至るまでそっくりとその情報を読み取ることが出来るのだと言うのです。つまり核DNAを調べることで私たちの体の中に入っている様々なご先祖様のDNAまでも知る事が出来るという正に言う事なしの情報というわけなんです。

私たちのルーツは?

さて、先の項でもお話ししましたが、これまで日本人のルーツは約3000年以降に大陸からやって来た渡来系(大陸系)弥生人とこれまで1万3000年もの長い間延々と日本に定着し続けて来た縄文人の子孫ではないかと考えられてしました。これらの考え方が推測の域を脱する事が出来るのも、核DNAを調べることでハッキリと分かる訳です。

こちらの図をご覧ください。このグラフは、現代の東アジアの人々500人の遺伝的な特徴を2次元的に表示したものになりますが、渡来系弥生人のDNAはまだ解析されていない為にこれらの東アジアの人々のDNA情報を利用し、渡来系弥生人に見立てて分析を行ったのです。

一方で、現代の日本人の遺伝子はどうかといいますと、東アジアの人々のそれとは少し離れた場所に表示されます。

これは何故かといいますと、おそらくですが渡来系弥生人という人たちは、大陸から渡って来たので、中国の人々と同じようなところに遺伝子は表示されると思われますが、日本人の遺伝子が、これら大陸系の人々から少しずれている理由としては縄文人のDNAを持ち合わせているからではないかと考えられているんですね。

実際に今回分析した縄文人のDNAをプロットしてみるとこのようにかなりかけ離れた位置に表示されました。という事から、縄文人のDNAが私たち日本人のDNAの中にあるために、大陸系の人々のDNAから少し離れた場所に表示されたことが証明されたと言っていいのではないでしょうか?

結果として、私たち日本人のルーツは縄文人と渡来系弥生人の混血する事で出来上がっている事を示していると言って良いかと思われるのです。

実際に縄文人のDNAの一万か所を調べた結果がこのような表示になったのですが、ミトコンドリアDNAで同じ調査をしようとすると一万人のデータを調べる事が必要だったことと同じ意味を成すことになる訳です。また、この一万か所のDNAと私たち日本人のDNAがどれだけ共通点があるかを調べる事で縄文人の何パーセントを引き継いでいるかもわかってくるのです。

現状調べた結果からみますと、おおよそ20パーセント程を引き継いでいるらしいという事が分かって来ました。この事が、核DNAを調べてことで分かった最大の収穫と言えるのです。ですから、残り80パーセントのDNAは、渡来系弥生人から繋がっていると思われるのです。

驚きの縄文人のルーツも分かる!

今から20万年前、アフリカで誕生し世界中に拡散していった人類。この中に、勿論アジアに向かった集団もいたのです。

そして、アジア人のもととなった原アジア人は、東アジア人と東南アジア人に分かれていったと考えられています。その中で、渡来系弥生人は東アジア人から途中で分かれて日本にやって来たと思われます。

けれども、縄文人はどのようにして日本にやって来たのかはずっと謎であったのです。そして、これまでは骨の形態からは、東南アジア人に近いと思われていたのですが、別の解析結果からは、北方の東アジア人に近いという説もあってどちらに起源があるのかは、論争がずっと続いていたのです。

そして、先に紹介した斎藤教授は縄文人のデータを分析した中で、驚きの結果を得ました。

こちらの図は、世界の人々がどのように分かれて行ったかをDNAをもとに推定した図なので、横方向は遺伝的な距離を表しているのですが、分析の結果縄文人が枝分かれしたのは、東アジア人と東南アジア人が分岐する以前にアジアの共通祖先から分岐していることが分かったのです。

そして、縄文人はより古い時代に日本にやってきて、全く違うもっと古い系統の子孫が独自の道を歩んだ可能性もあると言うのです。今では、ユーラシア大陸の何処から来たのかすら分からない様で、また振り出しに戻った雰囲気だというのです。

縄文人のDNAは現代人には全く見られないどころか、アジア中を探しても何処にも存在しないといいます。そんな人々を見つけてしまったという正に不思議としか言いようのない事態になっています。

「一つの解釈として、古い時代に日本列島に定着した縄文人がその後何処にも移り済まずにずっと「日本列島のなかだけで生活をすることで、数千年から1万年以上の間外部との交わりを持たなくなっことから、独自のDNAが形成されたのではないかと考えられてもいます。」

「もう一つの考え方とすると、もっと古い時代にあちこちから渡来した人々が交わる事で日本の中だけで独自の人種としてのDNAを形成したのではないかという考え方もできるようです。」

また縄文人のルーツを考える中で人類がアフリカで誕生した後、約4万年前に東アジアに人々が入って来たと考えますと、縄文時代まではさらに2万年以上の開きがあります。その間にユーラシア大陸の中での人の動きは非常に複雑であったと考えると、おそらくその複雑な結果から日本にたどり着いた人々が縄文人だったと考える事も出来ます。 1万6000年前と聞いただけでも気の遠くなる時間の流れがそこにはあったわけですが、さらに2万年以上の長い、長~い時間の経過の中で複雑に交じり合った結果と聞けば、何があっても不思議ではなくなると思う様になりました。

縄文人はお肌の悩みがあったらしい?

福島県の三貫地貝塚の人骨から初めて解析された縄文人の核DNAだが、この成功を受けて日本全国の遺跡の人骨の解析が進められています。 青森県の洞窟から発掘された縄文人骨からは核DNAの8割もの配列が読み取られました。 そしてその結果、現代日本人のお肌の悩みと縄文人の体質にそれはそれは深い関係がある事が分かって来たのです。

>>核DNAとミトコンドリアDNAの違い化粧品会社でお肌の研究をしている本川智紀博士によりますと、12年前にある遺伝子を発見したのです。

それは、16番染色体にあるMC1Rと呼ばれる領域にありました。この場所が左右する体質が実はシミになりやすい事に大きく関係していたのでした。

シミになりやすい遺伝子か通常型かは上記のようにMC1Rの1か所の塩基配列の違いで変わるのです。

日本人の多くは”A”であるの対して、シミになりやすい体質の人の配列は、ここが”G”になっていたのです。

アイヌ、沖縄の方々の民族衣装を着た古い写真には 特徴のある風体の方々がさらに、日本人のシミ型遺伝子を調べた本川さんは、その遺伝子を持つ人の多くが、東北・北海道と九州地方に集中している事に気が付きました。確かに、ガレッジセールのゴリさんやアイヌの人たちは、顔の彫りが深く体毛が長いという印象がありますよね。

元々、「北海道と沖縄の人は遺伝的に縄文人に近いのではないか?」と言われていましたので、「シミと縄文人には何か関連があるのではないか?」と考えた本川さんは、縄文人のDNAの配列を調べました。

そして、出て来た結果は、シミ型遺伝子を表す”G”の文字だんたんです。

配列を確認した5人の縄文人全員が”G”の配列を持っていました。

つまり縄文人は、シミになりやすい体質だったと考えられるのです。

まあ、それ以前の話としてシミに対して気にかけていたのかどうかは知る術はないですが・・

核DNAの研究では、この様なことまで類推する事ができ、他にもいくつか縄文人から引き継いだのではないかという特徴が分かってきました。

縄文人の特徴

冒頭でもお話ししましたが、弥生人と比較して大きな違いが分かってきました。

おもしろい特徴としては、「ウィンクが出来る事」が挙げられますが、ウィンクなんて少し練習すれば誰でもできると思われがちなのですね。

詳しくお話ししますと、顔の表情を動かしている筋肉は顔面神経なのですが、その主たる動きが瞼の開閉と口を動かす事が挙げられますが、日本人はこの両方が分課していないためにウィンクをすると同時に口まで動いてしまう人が多いようです。

そのため、うまくウインクが出来ない人もいるらしいのです。私は、かろうじてウインクはできますが、何となく口も連動している感じですね。

また、耳垢がウェットという特徴をもともとの発祥の時にはもっていた事から、アフリカの人もヨーロッパの人もその特徴を持っていたのですが、アジアのどこかでその遺伝子を持たない

弥生人が形成されたのではないか?

そして、それ以前に分化した縄文人は、ウェットな特徴を持ち続けていたと考えると説明がつきやすいようです。

この様な特徴を私たちはそれぞれが受け継いでおり、人によって受け継いだ遺伝子が少しづつ違っているため、髪の毛や瞼、そして耳垢までもが違っているのが日本人の特徴ともいえるようですね。

まとめ

日本人のルーツについてはいろんな分野で研究がされていますが、今回の核DNAを分析する事で、新たな情報がたくさん得ることができ、「日本人はこの様に出来上がった」というシナリオを提示する事が出来ました。このシナリオに他の学問の定説が合わない事もおそらくあると思われます。

例えば、そもそも渡来系弥生人はどれくらい来たのだろう?という問題があります。

人類学者は、比較的沢山来たであろうと考えており、8割が渡来系弥生人の遺伝子が入っていると考えて来ました。

影響が強いという認識ですが、考古学的にみますと土器の形などを見てもそんなに沢山の人は来なかったのではないか?と考えているようです。 日本に定着した年数から見ても、縄文人の歴史は1億3000年もあったわけですからね。ですから、核DNAから作ったシナリオが解釈できるのか否かは、これからいろんな分野の研究者が検証を重ねていかなければならないのではないかと考えています。

実際に5~6か所の遺跡から縄文人を調べた結果から見てもそれほど均一ではなく、生活していた場所によっても又時代差によっても異なる特色があるのでその中のどの遺伝子が私たちに伝わって来たのか?をこれからの研究に期待したと思っています。

サイエンスZERO「日本人のルーツ」

日本人はどこから来たか!?遺伝子から分かる真実日本最大のミステリーは実は、我々、日本人そのものである。といえる。 アフリカで誕生した人類が安住の地を求めて世界中を旅した。これが世界初の旅。 現在ではさまざまな方法でグレートジャーニーの足跡がたどられている。 ここでは、嘘をつかない遺伝子で日本人のルーツを知ろうと思う。強者の倫理で、権力闘争で、食糧事情で、自然災害で、戦争で宗教戦争で、解釈の違いで 1.)母系遺伝子ミトコンドリアDNAの系統 まず、母系遺伝子を調べるため、ミトコンドリアDNAの系統を調べる。 ミトコンドリアDNAは、母系遺伝をする。だから、女性の祖先をたどった系図を調べることができる。 DNA配列は短期間に変化しやすいため、分岐の時期をかなり詳しく知ることができる。 世界的に見たこの日本人のミトコンドリアDNAの2重構造の位置付け。 これを知るために、アフリカ人(いわゆる黒人)、ヨーロッパ人(いわゆる白人)と、日本人の間で系統の関係を分析する。 すると、すごく興味深い結果が現れる。 研究当初、縄文人弥生人の区別を実証する目的でこの研究を行なったらしいんだが、その分岐が世界3大人種を区別するほどの根元のほうにあるグループが日本人の中に存在した。(他のアジア人にはない) これはどういうことか! 縄文人弥生人のDNAの差ってのは、実はそれほど差はない。 共に東アジアに広く分布するアジア系で、どちらが北でどちらが南から来たかという地域差がないことが分かってきている。 しかし、他のアジア人にはみられない日本人のミトコンドリアDNAが、人種(黒人、白人、黄色人)の分岐、すなわち、かなり早い段階で別れた人々がそのまま日本に移動して定住したといえるわけだ。 日本人グループに注目すると、その分岐点はヨーロッパ人よりもはるかに根元のアフリカ人グループの間にあるので、この日本人のミトコンドリアDNAは、聖書による3大祖先 ハム、セムヤペテ のうちの、セム系直系に相当すると考えられる。 ※ここで説明しよう。 旧約聖書にあるノアの方舟。このノアの3人の息子セム、ハム、ヤペテは、 大洪水の後のすべての民族の先祖といわれている。 世界のすべての民族は、ノアの3人の息子セム、ハム、ヤペテから分かれ出た。 これが、「黄色人種、黒色人種、白色人種」という分類、いわゆる「モンゴロイドニグロイドコーカソイド」であり それと合致するという意味で、ハム系とは黒色人種、ヤペテ系とは白色人種で、セム系とは黄色人種(アジア人)となるわけだが、 黄色人種いわゆる中間色の人々は、モンゴル人、中国人、日本人などの東洋人と、 アラブ人などの中近東や、東南アジア、ポリネシア人などの肌が褐色な人々もいるわけだ。 ちなみに エジプト人はハム(黒人系)で、 イラン等のペルシャ人やインド人はヤペテ(白人系統)である。 だから、肌の色、特に中間色、褐色はすべてノアの時代のセム、ハムになるかというとまた違うわけだ。番外編.)ちなみに、ひとつ、おもしろい話がある。 1986年、アメリカのフロリダ州でミイラ化した約7000年前のヒトの脳組織が発掘された。 従ってこの脳組織はアメリカ大陸に7000年前にいた人間、いわゆるアメリカ・インディアンの祖先のものとされた。 カリフォルニア大学で、この脳組織からまず、微量のmtDNA(ミトコンドリアデオキシリボ核酸)の抽出に成功した。 次に当時最新の画期的なDNA増幅技術・PCR法を使って、mtDNAの一部を増幅し塩基配列(DNAの文字列)の決定にも成功した。 その結果、大部分の現代人では、≪GGGCCC≫という文字列になっている塩基配列がこのミイラには ≪GGACCC≫となっていた。 そこで、まず現代のアメリカインディアンの中に ≪GGACCC≫の塩基配列を持つ人がいないかを調べだが、誰のDNAにも見いだせなかった。 ところが、遺伝子研究の権威である日本人の故・宝来聡博士が調べた日本人の中の多くが、ミイラと同じ≪GGACCC≫という配列であることが明らかとなった。 このような変異型のDNA配列を持つミイラと現代日本人の一部が一致するというようなことは偶然では起こり得ないことで、現代日本人と7000年前に生きていたこのミイラが、遺伝子レベルで共通の基盤を持っているとわかった。 はるか昔、アメリカインディアンの祖先よりも前に、あるいは、それとは違うグループが 日本から太平洋を 渡って北米大陸に移住した民族集団がいたという事実を、図らずも証明したことになった。 2.)Y染色体DNAの系統 Y染色体のDNAは 父系遺伝する。 これは男系子孫にのみ伝わっていくため歴史的な調査に用いられ、人種のルーツの祖先を正確に辿っていくことができる。 私達はモンゴロイドであり、中国や韓国と同じ民族だと思われてる人々が多い。 しかし、最新の遺伝子研究により、私達日本人は、中国や韓国とはDNAの中身が若干違うことがわかっている。 世界では珍しい、古代血統とされる、Y染色体D系統が日本人に多いからだ。 黒人固有のA系統、B系統、 中央アジアなどのアルタイ系のC系統、 日本人や地中海に特徴的なDE系統、 中近東などのJ系統、 オセアニア・南アジアのK系統、 ウラル諸族のN系統、 東アジアのO系統、 イヌイットなどのQ系統、 アーリア系のR系統 などがある。 そしてまた、同じD系統であっても、 チベットや東南アジアがD1とD3系統であるのに対して、 日本人のD系統はほぼ100%がD2系統。 もちろん、同じD系統だから近縁であることは間違いないが、D2系統は世界の中で日本人にしか存在しない固有の系統。 さらに大きな意味な持つのが、日本の近隣諸国にはY染色体D系統が存在しないこと、 そして現代の日本人にも、相当に高い頻度で残っていること。特にアイヌ人には9割近くも集積している。(本土の山間部にもやや多い。)  ということは縄文人の特徴ということだ。(沖縄本島には多いが、八重山諸島にはいない。) このD2系統には、特徴的な変異:「YAP」(ヤップ)とよばれる挿入部分(300塩基)をもち、 これは D、E系統のみに含まれ他には存在しない。 (以下番外編) E系統を持つのは、イスラエル、いわゆるユダヤの民。 調査結果から、イスラエルの失われた12部族のうちの、エフライムとマナセだけがYAPなどの挿入部をもつD系統である。他はE系統。 日本人のみ(他のアジア人にはみられない)持っているタイプの系統は、古代イスラエル、古代ユダヤのものと同じなわけだ。 ということは、やはり、はるか西のほうからシルクロードを通って、そのまま日本まで父系を保ちつつ独自に移動してきたと考えられる。 やはり、イスラエルの失われた十支族の末裔が日本人である可能性が高い。整理して考えると。。。 古代イスラエルから、日本へ、3度に渡ってたどり着いたといえるかもしれないのだ。 ・一度目 日本人のルーツとなる縄文人が日本に定着。彼らは中近東から比較的早い段階で来たと思われる。 人類のグレートジャーニーの動き、人種が別れたばかりのセム系直系の遺伝子的に色濃い人々が日本を目指して移動したことがわかる。 ・二度目 北イスラエルのいわゆる失われた十支族が日本へ。 きっと、古代の自分達の祖先が日本へ渡ったことの伝承をたどって日本まで来たのだろう。 シルクロード各地にそのような伝説が残っていることからもその可能性は高い。 このY染色体DNAから、失われたイスラエル十支族が日本人である確証となる。 それに文化的にも、古代イスラエルで信仰されてた古代ユダヤ教神道そっくりである。ということは天皇家は?。。。 ・三度目 キリストの教えを直接受けた原始キリスト教徒であるネストリウス派キリスト教徒、いわゆる景教徒である秦氏が日本にやってきた。 これは歴史的な事実から確証があり、判断できる。 キリストの時代はエルサレムには南イスラエルの人々、いわゆる南イスラエル2支族、すなわちユダヤ人しか住んでいない。 原始キリスト教徒であるネストリウス派キリスト教徒のユダヤ人である秦氏は、 中国の西にあった弓月の国を建国ししばらく留まり、その後、日本に来ているのは歴史的に正しいわけだ。 きっと、日本に来た目的は、失われた十支族を追ってのことだろう。そして彼らは、この日本で出会った。失われた兄弟達と再会したのだ。 10支族がやってきて、後から2支族が来たことで、 イスラエルの12支族すべてがこの日本に来ていたということになるのだ。 この時点で、旧約聖書の預言は成就されていたことになる! 京の都は『平安京』これは秦氏が協力して天皇を祭るために作った都ヘブライ語で『平安』は『シャローム』、『都』は『エル』すなわち、『平安の都』とは『エルシャローム』。京都は『エルサレム』だったのだ! 『エルサレム』で、もうすでに1千何百年前にイスラエル12支族がすべておちあった! 秦氏は、旧約聖書の預言を日本で成就するために、京都を作ったのだ!ということになる。 ユダヤ三種の神器もすべて日本にある。(これについては後日) 旧約聖書の預言はこれによってこの日本で成就される! 。。。これは大変なことを知ってしまった。。。 (番外編) 海草を消化出来るのは日本人だけ 日本人の腸内細菌には、中国人、韓国人も持っていない、もちろん北米人では見られない 海藻を消化する酵素をつくる遺伝子が見つかった。 こんな研究結果をフランスと カナダの研究グループがまとめ、8日付英科学誌ネイチャーに発表した。 のりに潜んでいた海の微生物が持つ能力を腸内細菌が取り込んだ可能性が高いという。 まさに、孤高の特殊な民族、日本人 3.)YAP遺伝子の系統 D系統遺伝子はY遺伝子YAP型に分類される。 YAP型はY遺伝の中でも古い系統の一つであり、日本人は東アジアの中でも最も古い人種の一つである事がわかる。 ちなみに他のアジア人(中国人、韓国人など)の主流であるO系統は、最近分岐した最も新しい系統の一つである。 Y染色体のDNAの塩基配列の型から、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのは、Dグループと、Eグループで、 Dグループが相当な頻度で存在するのは、日本とチベット、インド洋のアンダマン諸島のみ(日本で30~40%、アイヌと沖縄ではさらに頻度が高く、チベットでは約30~50%)であることがわかっている。 他方、Eグループが相当な頻度で存在するのはアフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてである。 だから、Y染色体にAlu配列(YAP+因子)を持つ者が相当頻度で存在する地域は、 アフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてと、チベットと日本のみであり、 日本人のY染色体の30~40%については、DNA塩基配列が近縁関係にあるものは周辺国等にほとんどなく、 チベットやアフリカや中東のY染色体と近縁関係にある事が分かっている。 YAPは縄文人固有の遺伝子ではなく中東から発祥したものなのか? これは中国人、韓国人、フィリピン人にもない遺伝子であり、YAP遺伝子は縄文人固有の遺伝子ではなく、中東から来たという。 古代イスラエル人と日本人くらいしかいないともいわれ、Y染色体DNAのD系統を高度で持つことで有名であり、Y染色体DNAのD系統は、日本人とチベット人や中近東の人の他には、世界のどこにもほとんど存在しないそうだ。 Y染色多型体の分析による最新の結果では、 旧石器時代にシベリア経由で北海道に来た系統、 縄文時代華北朝鮮半島経由で来た系統、 弥生時代に同じく華北朝鮮半島経由で来た系統、 南方から沖縄経由で来た系統。 アフリカをあとにして広がった人類は大きく3つのグループに分かれたが、 日本列島にはその3つのグループのすべてが集まっていて、これは全世界的に見て他に類の無い特徴である。D系統は、本土で40%、沖縄で56%、北海道アイヌで88% つまり、縄文系の血を濃く残すと言われるアイヌ人の実に9割がユダヤ人と近縁のD系統で、 渡来人の遺伝子的影響を受けやすい本土人では4割しかユダヤ人と近縁の遺伝子がいないことになる。古代イスラエル人の渡来は、どんなに早くとも、紀元前8世紀以降。(北イスラエル王国の滅亡が紀元前722年だから。) 大陸から、中国・韓国系の大量にO系統の人間が移動してきた弥生時代と近接している。(日本人の半分はD系統で、残り半分がO系統) では、縄文人の末裔の方がユダヤ人と遺伝子タイプが似ているというのはいったいどうしてか。。。 逆に、縄文人(D系統)が大陸に渡りイスラエルに行き、突然変異してE系統(イスラエル人)になったという方が、合理的だ。ということは、失われた十支族が日本に来た理由は、日本から発祥したその自分達のルーツをたどるために、日本に先祖帰りの旅に出たのではないだろうか? だから、彼らは預言に従って日本までたどりついたのではないだろうか?。。。だとしたら。。。ユダヤ人たちのシルクロードを通しての情報伝達能力は凄かった。そのためにシルクロードを作ったともいえるということは、イエスキリストの空白の期間に、エジプト、チベット、と旅をしていることはわかっているのでひょっとしたら、そのユダヤ人の足跡を追ってイエスシルクロードを日本まで来ているかもしれない。 秦氏とともに。聖徳太子はイエスキリストのことかもしれないのだ。 今のユダヤ人たちはそのことを知らない。彼らは、その他の2支族の末裔であり、 10支族の宗教、伝承、他は、知らないからだ。 日本人は、それを知っている。いや、知っていた。 しかし、歴史は捻じ曲げられ、隠され、今日に至る。 でも、日本中の埋もれ隠された古史古伝、神社、祭り事、言語、わらべ唄、そういったものの中に ハッキリと古代イスラエルの文化が生き延びていて、証拠となって今も現存する。 なーんていろいろ考えると、すべては日本から始まったという、竹内文書もまんざらではなくなってくるから、恐ろしくもある。。。 実に不思議だ。。。日本の最大のミステリーは日本人そのものである 番外編.)日本人特有のM7aグループ 日本には世界で日本人にしか見られないM7aというグループがある。 これは台湾付近で発生したと考えられ、琉球諸島アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている。 いわゆる縄文人の遺伝子で、これは、与那国島海底遺跡を作った人々 縄文人が高度な文明を持っていて、日本全体にすんでいたということになる。 失われた大陸ムーの祖先か? 番外編.その2)奈良人は朝鮮系? 「奈良」の語源について 「古代に朝鮮半島からの移住者が奈良の辺りに多く住み着き、そこに王朝を作って韓国語で"国"を意味する"ナラ"と名付けた」と言う説がある。 奈良人のDNAを検査した結果、周辺の県より突出して朝鮮系のDNAを持つ人の割合が多かった。 奈良に朝鮮系の渡来人が大勢住んでいたのは確かである今売れに売れているこの本だが、自分の視野を広げるという点においては、 この記事を読んで日本人のルーツについて興味を持った人はぜひ読んでみるといい。 日本人はどこから来たか!?遺伝子から分かるグレートジャーニーの真実

日本最大のミステリーは 実は、我々、日本人そのものである。といえる。 番外編.)日本人特有のM7aグループ 日本には世界で日本人にしか見られないM7aというグループがある。 これは台湾付近で発生したと考えられ、琉球諸島アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている。 いわゆる縄文人の遺伝子で、これは、与那国島海底遺跡を作った人々 縄文人が高度な文明を持っていて、日本全体にすんでいたということになる。 失われた大陸ムーの祖先か? 番外編.その2)奈良人は朝鮮系? 「奈良」の語源について 「古代に朝鮮半島からの移住者が奈良の辺りに多く住み着き、そこに王朝を作って韓国語で"国"を意味する"ナラ"と名付けた」と言う説がある。 奈良人のDNAを検査した結果、周辺の県より突出して朝鮮系のDNAを持つ人の割合が多かった。 奈良に朝鮮系の渡来人が大勢住んでいたのは確かである。今売れに売れているこの本だが、自分の視野を広げるという点においては、 この記事を読んで日本人のルーツについて興味を持った人はぜひ読んでみるといい。

「縄文人ゲノム解読 私たちのルーツは」

日本人の祖先と思われている縄文人。そのイメージが大きく変わろうとしています。 福島県で発掘された人骨からゲノムが解読され、「縄文人はアジアの他の地域の人たちと大きく異なる特徴を持っていた」とわかったのです。そればかりか、現代の日本人とも予想以上に違いが大きかったと示されました。 では一体、縄文人とは何者だったのか?私たちのルーツにも関わる最新科学の意味を3つのポイントから読み解きます。

まず、「核DNA解析」と呼ばれる今回の手法が、これまでと何が違うのか整理します。 続いて、解析の結果つきつけられた「縄文人とは何者か?」、さらには「では私たちは何者なのか?」 という謎を読み解きます。 そして、「科学が変えた人類観」。DNA解析の進歩は、人類がどんな存在なのか?というイメージ自体を変えてきました。それをどう受け止めればいいのか考えます。 先月、国立遺伝学研究所などのグループが「縄文人の核ゲノムを初めて解読した」とする論文を 専門誌に発表しました。この「縄文人」とは、福島県新地町にある三貫地貝塚で発掘された3千年前の人骨です。三貫地貝塚は、昭和20年代に100体以上の人骨が発掘された、縄文時代を代表する貝塚のひとつです。研究グループは、東京大学に保管されていた人骨・男女2人の奥歯の内側からわずかなDNAを採取し、解析に成功しました。 DNA解析と言えば、今や犯罪捜査から薬の副作用の研究まで様々な分野で使われていますが、今回の研究では「核DNAの解析」というのがポイントです。実はこれまで「古代人のDNA」というと、行われてきたのは「ミトコンドリアDNA」というものの解析でした。 私たちの細胞には「核」があってその中に「核DNA」が入っていますが、これとは別にミトコンドリアという小さな器官の中にもDNAがあります。ミトコンドリアはひとつの細胞に数百個もあるため分析に広く使われてきました。ただ、ミトコンドリアDNAの持つ情報は限られていて、文字数に例えると2万文字以下の情報しかありません。これに対し、核DNAは32億文字にも上り、私たちの姿形や体質など膨大な情報を含んでいます。技術の進歩で新たな分析装置が登場したこともあって、今回、日本の古代人では初めて核DNAの一部が解読されたのです。 では、縄文人とは何者だったのか?こちらは解析の結果、三貫地縄文人が現代のアジア各地の人たちとどれぐらい似ているのか、プロットした図です。近い場所にある人同士は核DNAがより似ていることを示します。すると、縄文人はアジアのどこの人たちとも大きな隔たりがあるとわかりました。それだけでなく、現代の日本人ともかなり離れています。現代の日本人は、縄文人よりむしろ他のアジアの人たちに近い位置にあるのです。 こうした距離は、人々が共通の祖先から別れて別々に進化を始めた時代の古さを示すと考えられています。DNAには時間と共に突然変異が起きるため、別れてからの時間が長いほど違いが大きくなるためです。 そこで、この結果を共通祖先からの分岐の古さを示す「進化の系統樹」にするとこうなります。「ホモ・サピエンス」と呼ばれる私たち現生人類は20万年前にアフリカで誕生し、その後他の大陸に進出しました。ヨーロッパに向かった人たちと別れ、東に進んだグループのうち、最初に分岐したのはパプアニューギニアからオセアニアへ渡った人たちです。そして解析の結果、次に別れたのが縄文人だったのです。これは、縄文人が他のアジア人ほぼ全てと別のグループであることを意味します。他のアジア人はその後、中国や東南アジア、さらにはアメリカ大陸に向かう集団へと別れました。現代の日本人もこちらのグループに入っています。これを見る限り、縄文人は日本人の祖先には見えません。ただ同時に、この矢印は、縄文人と現代の日本人のDNAのうち12%は共通だということを示しています。一体どういうことなのか?研究者が考えるシナリオです。 およそ4万年前から2万年前の間に、大陸から日本に渡った人々がいました。大陸とは海で隔てられていたため、この人々はその後大陸のアジア人と交わること無く進化を遂げ、縄文人の祖先になります。その間、大陸のアジア人も様々に別れていきました。 そして、縄文時代の末以降、再び大陸から日本に大勢の人が渡ってきました。いわゆる渡来系の弥生人です。稲作文化を持ち込んだ渡来系弥生人は人口の多くを占めるようになりますが、その過程で縄文人と幾らか交わりを持ったため、現代の日本人には12%だけ縄文人のDNAが伝えられたのです。従来の研究では、現代日本人には縄文人の遺伝子が2割~4割ほど入っているとも考えられていましたので、それよりかなり少ないという結果です。 ただし、これはあくまで福島県・三貫地貝塚のわずか2人のDNA解析の結果です。「縄文人の中にも多様な人達がいて三貫地縄文人は現代人との共通性が低かったが、西日本の縄文人はもっと共通性が高いかもしれない」と考える専門家もいます。現在、国立科学博物館などのグループでも、北海道から沖縄まで各地の古代人の核DNA解析に取り組んでおり、今後、日本人のルーツはより詳しく解明されていくでしょう。 さて、こうした科学の進歩は私たちが抱く「人類観」さえ変えてきました。 発端は1987年、ミトコンドリアDNAの解析から、アメリカの研究グループが衝撃的な発表をしました。それは、「世界の人々の母方の祖先をさかのぼると、20万年前のアフリカにいた、たった一人の女性に辿り着く」というものでした。この女性は「ミトコンドリア・イブ」と名付けられました。 このことは、それ以前から各地にいたはずの古い人類たちを、あとからアフリカを出た我々ホモ・サピエンスが全て絶滅させ、置き換わった証拠だと考えられました。 しかし、これをくつがえす人類観も、今度は核DNAの解析から生まれました。2010年、ドイツのグループがおよそ4万年前にヨーロッパにいたネアンデルタール人の核DNAを解読。「我々はネアンデルタール人からDNAの数%を受け継いでいる」と発表したのです。 この発見は、ホモ・サピエンスネアンデルタールと共存し交わりを持って子孫を残した、それが我々の祖先だということを意味します。私たちは他者を滅ぼすばかりの攻撃的な種では無く、異なる人々を受け入れ、それによって豊かな多様性を持つようになったのではないか?そんな可能性を科学が示したのです。 こうした発見の積み重ねの先に、いつの日か「私たちはいかなる存在なのか?」そんな根源的な問いにも答えが出されるかもしれません。

今回の調査では、核DNA解析など今までにない最新の科学的手法が試された……。

その結果、私達の先祖である縄文人の遺伝子中に縄文人特有のDNAが見つかったという。それは中国大陸系の遺伝子(DNA)とは全く別の場所からやって来たDNAだった…。研究結果を受けてこの新しい縄文人DNAが一体どこからやって来たのか?という新たな課題も見えてきた。

縄文時代とは?

縄文時代とは、記録に残る最も古い時代で今からおよそ1万6,000年前から3,000年前にあたり、その後の「弥生時代」へと続く。

約1万3000年の間、北海道から沖縄まで日本全国をカバーする時代だった。

縄文人の核DNA解析に成功

 

今回縄文人の核DNAの解析に成功した。今までも解析はされてきたがほんの一部だけ。これまで分析対象にされてきたのはミトコンドリア内部のDNA。「ミトコンドリアDNA」は数が多く残存しやすいため分析が容易だ。しかしDNA塩基の数は少なく1万6000個しかない。( 得られるデータ量が少ない)

ところが、核DNAには約30億個もの塩基の数があり、解析に成功すれば非常に多くのデータが得られるという。ただし核は各細胞に1つしか無いため非常に残存しにくい。…今までは解析が非常に難しかった。

国立遺伝学研究所)のチームが解析

今回、国立遺伝学研究所の 齋藤成也教授をリーダーとするチームが核DNAの解析に成功した。DNAは生きている人間であれば唾液などから大量に採取する事ができる。しかし古代人の場合は、骨に残されたDNAを採取するしかない。そしてそのほとんどは分解が進み、残っていないため分析出来る可能性は低い。

外気に触れない歯の根からDNAを採取

そこで齋藤成也先生が狙いをつけたのは「歯」だった。状態の良い歯を入手するため、1950年代に発掘が開始された福島県三貫地貝塚(ふくしまけん さんがんじかいづか)へ……。この貝塚では縄文人の骨が多数発掘されており、人骨の出土数は国内最大でこれまでに100体以上出土している。しかも比較的寒冷な地域だ。出土した骨を管理研究している 諏訪元 教授(東京大学総合研究博物館)は齋藤成也教授に「成人の男女二人の歯の根」の部分を提供。果たして狙い通りに外気に触れることなく温存された部分から核DNAを調べることが出来るだろうか……

非常に難かったDNAの取り出し作業

しかし実際のところ、歯の根の内部からDNAを取り出す作業には困難が伴った。神澤秀明(国立科学博物館研究員)さんは、歯の内側を削り取り、その中からDNAを取り出そうとしたが、本来繋がっているはず塩基はバラバラ。しかも外部から入ってきたバクテリアなど別の生き物のDNAも混じっていた。その中から縄文人のDNAを選り分けて取り出すのは、苦難の連続だったという。

核DNAであれば日本人のルーツも調べられる

従来解析に使ってきたミトコンドリアのDNAは母方の先祖からのDNAしか受け継がない。(父親側のDNA情報は解らない)そのため母方のルーツしかわからなかったが、核DNAには両親のDNAが受け継がれているため、より正確に日本人のルーツを調べることも可能になったという。

我々は「オリジナル縄文人」の祖先?

3,000年前、縄文時代が終わり弥生時代になると、中国大陸より「渡来系弥生人」が渡って来た。

つまり私達のご先祖様は、渡来系弥生人だと思われていた。しかし解析の結果、我々現代日本人のDNAには中国大陸の人々のDNAとは違うルートからのDNAも混ざっている事がわかった。それが本州独自(オリジナル)の”縄文人DNA”。DNAの性質別に分布図で示すと中国大陸(ベトナム=キン族、中国=ダイ族(雲南省)、中国=漢民族(北京)など)の大陸系のDNA分布とは少し離れた場所に現代日本人が表示される。

縄文人のDNAは分布図の更に離れた所に有り大陸系DNAとは大きく性質が異なっていた。現代日本人が大陸系DNAの集団と少し(性質が)離れているのはこの「縄文人」のDNAの影響が色濃く反映された為と推察された。大体2割位が縄文人DNA、8割が大陸系DNAとして混血し現代の日本人に受け継がれているという。

では”縄文人DNA”はどこからやってきたのか?

20万年前、アフリカで誕生した全人類の先祖。その後、アフリカ大陸からアジアに向かった集団がいた。

この集団「原アジア人」はさらに、東アジアに向かった集団と東南アジアに向かった集団に分かれる。「渡来系弥生人」は「東アジア」の集団から別れ日本に到達した。今回判明したのは、「縄文人」は「東アジア」「東南アジア」の分岐よりも前にすでに分岐が始まっていたということ。”オリジナル縄文人”は、中国人の先祖やベトナム人の先祖よりさらに古い時代に日本にやってきて独自の文化を作った可能性があるという。オリジナル縄文人のDNAはアジアのどこにも見つからないもので全く新しい場所から発生している可能性があり、ユーラシア大陸のどこからやってきたのかもわからず、調査も振り出しに戻ってしまったという。

現在考えられている仮説は…

  • 南北にとても広い日本列島で数多くの色んなDNAが混血し全く新しいDNA(今までに発見されていないDNA)を作った可能性

 

アフリカ大陸からまだ知られていない全く未知のDNAが縄文人として存在した可能性などがある。

縄文人はどんな姿かたちだったのか?

福島県三貫地貝塚から初めて解析された縄文人の核DNA。この成功により、青森県の遺跡などの人骨からも次々と新しい解析が進んでいる。(青森では8割もの核DNA解析に成功)その結果、縄文人はシミが多いことがわかった。本川智紀さん(ポーラ化成工業)は、12年前「染色体MC1R部分のシミに関する塩基配列」を発見。日本人の体質=縄文人の体質は「シミ」になりやすい肌を持つことがわかった。データによれば縄文人の体質の特徴は以下のようになる

 

 

髪はストレート … 弥生人の遺伝子

  • シミになりやすい
  • 耳垢が湿っている
  • くせ毛
  • 二重まぶた
  • ウインクができる(ウインクするときに口が動かない)

 

 

南沢奈央の遺伝子は、縄文人の遺伝子が優っているように思えた。アフリカ大陸から来た当初人類はウインクが出来たという。日本人は、2割が縄文人のハイブリット。それが日本人の多様性を受け継いでいるという。



核DNAが人類学を変える

渡来系弥生人のさらなる詳細なども今後わかるようになり、噂とされていたことが科学的に立証できるようになれば、人類のルーツを知ることができるかもしれないと話した。

さて、こうした科学の進歩は私たちが抱く「人類観」さえ変えてきました。

発端は1987年、ミトコンドリアDNAの解析から、アメリカの研究グループが衝撃的な発表をしました。それは、「世界の人々の母方の祖先をさかのぼると、20万年前のアフリカにいた、たった一人の女性に辿り着く」というものでした。この女性は「ミトコンドリア・イブ」と名付けられました。

このことは、それ以前から各地にいたはずの古い人類たちを、あとからアフリカを出た我々ホモ・サピエンスが全て絶滅させ、置き換わった証拠だと考えられました。

しかし、これをくつがえす人類観も、今度は核DNAの解析から生まれました。2010年、ドイツのグループがおよそ4万年前にヨーロッパにいたネアンデルタール人の核DNAを解読。「我々はネアンデルタール人からDNAの数%を受け継いでいる」と発表したのです。

この発見は、ホモ・サピエンスネアンデルタールと共存し交わりを持って子孫を残した、それが我々の祖先だということを意味します。私たちは他者を滅ぼすばかりの攻撃的な種では無く、異なる人々を受け入れ、それによって豊かな多様性を持つようになったのではないか?そんな可能性を科学が示したのです。

こうした発見の積み重ねの先に、いつの日か「私たちはいかなる存在なのか?」そんな根源的な問いにも答えが出されるかもしれません。