シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~日本人の可能性2~

シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~日本人の可能性2~

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皆さんこんにちは。
連載「潜在思考の原点、カタカムナ」。今回はその最終回となります。 :D 長らくのご声援有り難うございました :D
今回は今までのシリーズを振り返りながら、古代人の思考方法、そしてそれを色濃く受け継いでいる私たち日本人の可能性について考えてみたいと思います!
その前に、応援の方もよろしくお願いします。

■古代人の思考を学ぶ、その意義と可能性
このシリーズでは、「カタカムナ」と呼ばれる、日本の上古代に存在したとされる文明の資料を紐解きながら、古代人の思考方法を探ってきました。
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~プロローグ~ 
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~カタカムナとは何か~
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~「カタカムナ」の世界観(1)~
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~「カタカムナ」の世界観(2)~
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~似て非なる「陰陽道」~
シリーズ「潜在思念の原点・カタカムナ」~日本人の可能性1
その想いの原点には、
環境問題、経済破局など、現代社会が抱える様々な問題を考えるとき、私たち現代人が持ち合わせている観念、例えば市場主義、個人主義、民主主義と言ったような近代観念群、そしてその土壌となっている思考方法にもはや限界があるのではないか、と考えたからです。
そこでカタカムナに着目しました。
この文明は、現在、文献を元に一定の研究がなされており、万物や宇宙の根源を探る、と言った現代の量子力学をも連想させる深淵な思考と追求があったとも言われています。
現代の様な科学技術も装置も無かった遙か古代において、いかにその様な内容を発想し得たのか。
彼らは我々現代人とは全く異なる思考方法を持っていたのではないか。
そしてそこにこそ現代の様々な問題を突破するヒントがあるのではないか。

と考えたからです。
■古代人の思考方法「類化思考」
当然ながら上古代の文明は資料も乏しく、ましてやその思考方法の追求などは暗中模索です。
そこで、「カタカムナ文献」に加え、東洋史学や日本民俗学といった視点からも追求を重ねました。
そこから見えてきたのは、現代の私たちの思考方法とは全く異なる、「類化思考」と呼べる思考方法でした。
この「類化思考」とは、我が国の民俗学者である折口信夫氏が提起した説です。
以下の記事で詳しく紹介していますので是非読んで下さい。
シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~「カタカムナ」の世界観(2)~
私たち現代人は、物事を捉え、分析し、判断する時、対象それぞれの「何が違うのか」という、異化部分を抽出をしようとします。分類化、比較表、パターン化といった方法、すなわち「別化思考」です。
これに対し「類化思考」とは、対象の同一部分を注視し、そこに法則を見出す思考です。
例えば自然に精霊を見出す様な思考も、その原点には、自らと対象を同一視できる、この思考方法があったと推察できます。
古代人は「別化」ではなく「類化」をその思考の根本に据えていたようです。
万物の成り立ちや宇宙の真理に迫れるのも、物事を細分化し分析する現代の量子力学とは真逆の、万物の共通点を見出しそこから普遍的な法則を導き出すこの思考方法があったと思われます。
■「別化思考」の興隆と限界
この「類化思考」は、当然全ての始原人類に備わっていたはずです。
しかし、有史以降、略奪闘争が世界を席巻するに及んで、他集団から自然外圧に至るまで、全てが警戒と敵視、そして克服の対象となります。
同化能力を原点とする類化思考は急速に失われ、「自」と「他」の区別を原点とする別化思考が世界標準となりました。
市場主義や個人主義等、「個」の利益を最優先する近代観念も、こうした別化思考がその原点にあると言えます。
現在の社会閉塞と、その解決策が見出せない(小手先の弥縫策しか見出せない)原因もまた、こうした思考方法そのものに依拠しているから、と考えられるのではないでしょうか。
現在の統合階級は、環境問題にしても経済問題にしても、部分的・一面的な問題点を抽出し、その対処方に目先的に汲々としています。
こうした極めて狭い視野の範囲内での追求では、本質的な答えに辿り着けるわけがありません。
まずは諸問題の全体像を捉え、360°あらゆる角度から検証する事で問題の共通点や関連性を見出し、その本質に迫る事の出来る思考方法が今は求められています。
ここで、答えの出せない「別化思考」にかわる、古代人の「類化思考」の可能性が注目されます。
■類化思考を色濃く残す日本人の可能性
さて、古代人の類化思考は今や消滅してしまったのかというと、決してそんな事はありません。
日本においては、古代以降も「類化思考」が連綿と受け継がれて行きました。
(「カタカムナ文献」としてその思考方法の一端が現代まで伝わっているのも、その一つの証かもしれません)
何故、日本において類化思考が受け継がれて来ることが出来たのか。
それは、日本が近代まで、共同体基盤を強く残してきたからと言えます。
日本列島の地理的環境、すなわち大陸と切り離された島国であり、温暖湿潤で豊かな国土が、略奪闘争とは無縁の共同体基盤が存続することを可能にしました。
時代々々の支配者層も、力による支配ではなく、共同体基盤を活かした国家運営を行ってきた事も大きいと思います。
共同体の基盤は、言うまでもなく成員の共認関係です。
仕事も、娯楽も、教育も、全てが集団の共認充足と共にありました。
この共認充足の原点は仲間同士の同一視・肯定視と、徹底的に対象に同化する姿勢です。
これは類化思考そのものであり、日本人は近代までそれを維持していました。
一つの事例として、当ブログでも紹介した日本人の災害史観があります。
(リンク)(リンク)
日本は災害の多い国です。一撃で生活基盤や多くの人命を奪う大災害を人々は何度も経験していますが、それでも人々は自然を敵視することなく、感謝と畏敬の念を持ち続けてきました。
自然との調和や一体感を是とし、全てを受け容れる意識もまた、古代より受け継がれてきた精神の一端と捉える事が出来ます。
そしてこうした日本人の思考や民族性は、今なお私たちの意識の深いところに刻印されています。
なるほど現代は共同体が解体され、私権社会の中で私たちは生きています。
明治以降、日本に欧米の近代観念が流入し、共同体の崩壊と都市化の波が押し寄せます。戦後はアメリカから市場主義、個人主義が雪崩れ込み、これに拍車をかけました。
現代は、あらゆる場面にこうした観念が入り込んでいます。
しかし、明治維新から150年、戦後70年を経て、これらの観念が私たちの意識に定着したか、と言うと極めて疑問です。
私たちは、市場主義、個人主義の中で暮らしながら、一方でそれらにどこか違和感、非充足感を感じている事もまた事実です。
これは私たちの意識の根底には、今なお古代から受け継がれてきた、対象への同化を原点とする「類化思考」の意識、共同体を基盤とした普遍的な人間性が息づいているからではないでしょうか
欧米発の近代観念が限界を迎えた今、古い観念に変わる新しい認識を構築し示してゆく事が喫緊の課題です。
私たち日本人には、それが出来る可能性を秘めていると考えられます。
その為にも、古代から引き継がれた日本人の潜在思考とは何なのか、改めて深く追求してゆく必要が有ると考えます。

以上、ご静聴ありがとうございました!
最後に、るいネットから、こうした日本人の可能性を端的に表した記事を紹介します。
欧米人もまた、日本人のこうした姿勢に可能性を感じている事が伝わってきます。
縄文体質は世界の人々を巻き込んでいく

震災で目立った「日本人の民度の高さ」と「政府の無能さ」 by台湾メディア

縄文考 “ヤマト”とは何か?本編② ~なぜ”ヤマのフモト”なのか?~

縄文考 “ヤマト”とは何か?本編② ~なぜ”ヤマのフモト”なのか?~

『縄文考“ヤマト”とは何か?』の本編が始まりましたね
前回の「中心軸の設定」に続き、2投稿目の今回は、「なぜ”ヤマのフモト”なのか?」です
縄文時代は関東・東海に人口が密集していました。
この二つの地方に集中しているのは、「風景」という共通点があるようです。
どこに住むかを考えるとき、そこから見える「風景」に重点を置く人も多いと思います。
それは、きっと縄文人も同じ☆
関東・東海に共通する美しい「風景」とは何でしょうか?

2.なぜ“ヤマのフモト”なのか?
ヤマトコトバが育まれ、使用されてきた地域を考えます。
縄文時代における日本列島内の人口分布を参照します。
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最も新しい説はコチラ→
前期・中期・後期において人口密度が高いのは関東・東海地方です。圧倒的に集中しています。なぜこのような偏りがあるのか、不思議に思います。新しい説でも関東・東海に人口が多いことには変わりません。
弥生時代にようやく近畿まで人口密集地域が広がります。
なぜここまで人口比率の偏りがあるのでしょうか。この疑問は食糧確保の理由で多くを語られますが、何か別の理由を感じずにはいられません。
関東・東海にどのような共通点があるでしょうか。その共通点に謎を解くカギがあるような気がします。
私は画家なので、人間が生きていくうえで重要ではない事にあえて注目します。
わたしが思う共通点は「風景」です。
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二見浦真景 明治20年
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富士吉田市歴史民俗博物館蔵
「日本」をイメージする最も有名で、ありふれた景色です。
ひとつは富士山が見える事。もうひとつは太平洋から日の出が見える事です。
富士山が見える極限の地域はもう少し広くなりますが、日常的に天気が良ければ見えるのは
茨城から三重になります。
現代でもお正月に必ず使われるイメージ画像は「富士山」と「初日の出」です。
富士山が見える物件、美しい日の出が見える物件は今でも高い付加価値があります。縄文人にとっても景色が居住地域を決定する要素であってもいいのではないでしょうか?
「富士山」と「日の出」をことのほか大切にする人々、それが日本列島に早い段階から暮らしていた私たちの祖先である縄文人だと考えます。
この共通点「富士山」「日の出」をヤマトコトバにして整理します。
富士山が見えるフモト → ヤマのフモト → ヤマト → 大和
海から日の出が見える → ヒノモト → 日本
どちらも日本国を表す言葉になります。
どちらも景色から生じた自然崇拝のコトバであり縄文由来となります。
“ヤマのフモト”の“ヤマ”は「富士山」を表すと考えます。
縄文人が暮らす地域、そして富士山が見える地域で話される言葉。それがヤマトコトバであると考えてみましょう。
するとヤマトコトバが産まれ・育まれた地域は関東・東海となります。
ですので、ヤマトコトバの発祥は関西でも九州でもないと考えてみます。教科書的には日本文化の起源に奈良・京都をイメージしますが、それは弥生時代古墳時代以降です。
そして、もうひとつ重要なことは奈良・京都から富士山は望めません。
縄文時代から考えると多くの人々が暮らした場所は関東・東海となります。
弥生時代から人口密度の高い地域が近畿まで広がります。
この拡大領域が“ヤマト”と呼ばれた地域の広がりと考えることはできないでしょうか?
“ヤマト”は“ヤマのフモト”を表すため、漢字表記は“山門”“山処”が正しいと考えられています。しかし、ヤマトコトバを漢字で表記する正しさは何度も保留にすべきだと思います。
漢字で意味を固定化するのではなく、音声言語の“ヤマト”には重層化された意味がある
と考えるべきです。
まとめ
縄文時代の人口密度から“ヤマト”のヤマは富士山を表す。
富士山が望める地域が“ヤマのフモト”であり“ヤマト”となった。
しかし、漢字表記“山門”・“山処”は保留にする。

始原の言語・日本語と、日本語に見る言語の本質・起源 プロローグ

始原の言語・日本語と、日本語に見る言語の本質・起源 プロローグ

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これまで、日本人の起源シリーズを扱ってきましたが、これに引き続き、次なるシリーズのテーマは「日本語」とします。
日本語を含めて「言語」には、共認機能や観念機能の構造との密接な関係があるはずで、これを追求することには、大きな可能性があると思われます。
言語追求といえば「文法」「語彙」などと、やや堅苦しいイメージがありますが、今回は、日本語の「音韻(おんいん)体系≒発音体系」に絞って追求します。具体的には、るいネットでも紹介されている(リンク)(リンク)(リンク黒川伊保子氏の「日本語はなぜ美しいか」を扱い、紹介して行こうと思います。
黒川氏はマーケティングの現場で、ことばを研究して来た人で、言葉の「語感」研究は突き抜けたものを持っておられる方です。現場で磨いた感性を基盤にした、言語の本質研究、そして日本語の音韻体系の本質追求は非常に優れた認識を生んでおり、言語追求に留まらず、日本語の特質からみた「日本人論」は秀逸なものがあります。

この世のことばを、母音と子音に分けたとき、忘れてはならないことがある。それは、日本語が、母音を主体に音声認識する言語であるということだ。、、、、、日本語の一音一音を成り立たせているのは、母音の存在感である。
母音は息を制動せずに声帯振動だけで出す、自然体の発生音である。母音そして母音を多く含む日本語は、心を無防備にし、相手の心を開きやすい言語である。
すなわち、潜在意識で母音骨格をつかむ私たち日本人は、話しているうちに、無意識レベルで相手と融合してしまう。(黒川伊保子著「日本語はなぜ美しいか」より引用、抜粋)

日本人は、その歴史から見ても、共同体性を強く残しているといわれますが、言語自体も、他者と融和するのに相応しい音韻体系を持っているということですね。さらには、日本人の高い技術力さえも、母音言語を操る日本人が人や自然だけでなく、あらゆる対象、精密機械とさえ融合してしまうためだと展開されています。
日本語(母音言語)は日本人の民族性の根幹にさえ関わっているというのですね。
そして、もう1つ、上記認識の前提となっている認識なのですが、「ことばの本質は発音体感である」という認識が示されています。「発音体感」とは言い換えれば「語感」といった所でしょうか。
例えば、「木(き)」という言葉を例に取ると、「木」を、teでもmeでもなく、kiと発音するのは従来ただ偶然と思われていました。しかし、対象(実態)と言葉(発音)の間には深い関係がある。「k」の音は硬口蓋といって、口腔のなかでも硬い部分ではじく様に出す音、そして、「I」の音は他の母音と比較するとはっきりするが、「喉の奥から舌の中央に向けてぐっと力が入る音で、前方へ体を運ぶ→尖った体感を伴う。
「k」は堅さ、「i」は尖った感じ。「ki」は木を形象する言葉として必然性がある。言語の本質・起源はこのような「発音体感」だと言うのです。
以下、別の例を引用して紹介します。(黒川伊保子著「日本語はなぜ美しいか」より引用)

発音体感がことばの本質である・ことばは音韻の並びであり、発音体感が、潜在脳にしっかりとことばの象を作り上げる。
例えば、「大きい」「多い」のオオは、口腔内に最も【大きな空洞】を作り、そこにこもった空気を振動させる母音オの重ねである。動物園でゾウ舎の前に連れてこられた幼児を観察していると、多くの子が「おー」と言って喜んでいる。幼児が興奮したときによく口にする「あ―」や「きゃー」ではない。私たち大人だって、巨大なもの、偉大なものを眼前にしたら、思わず「おー」「ほおー」と感嘆してしまう。
「おー」は、口腔とともに胸郭に深く響く母音のため、身体全体が振動した感じがする。身体全体を音響振動が包みこむように感じ、大きさや包容力を感じる音なのだ。だから、大きなものに意識で共鳴するとき、「おー」は最もしっくりする発音体感なのである。これに対し、退く意識が生じた時、すなわち客観性や揶揄の意識が混じると、退く発音体感を持つ「へえー」になる。

これらは一例に過ぎませんが、K、S、T、、、、それぞれの音素に渡って、その音を発する時の口腔内感覚→発音体感が、それが指し示す対象(実態)の様子と密接に関わっていることが、整然と述べられます。
そして、このような発音体感と対象(実態)の一致は、日本語に顕著であり、日本語こそが「始原の言語」、太古よりこの土地で育まれた言語であると述べられています。
全く新しい地平の認識ゆえ、具体的な事例を長めに紹介しました。言語の本質、起源追求のきっかけとなり、また、日本語とは一体どういう言語で、日本人の精神性をどのようなものにしているのか、今まで知られていなかった切り口が示されると思います。
予定しているシリーズ投稿です。
1.プロローグ
2.「日本の爽やかな朝(アサ)」と「英国の穏やかな朝(morning)」
3.実体と発音が一致している美しい日本語
4.子音の感性、母音の感性。日本語は心開く母音言語
5.自然と同化する母音語人
6.外圧は言語を作り、言語は人を作る
7.日本語の形成過程を歴史でたどる
8.日本語の危機~早期英語教育の危険性~
9.共認言語としての日本語の可能性
以上、ご期待ください。

 

縄文考 “ヤマト”とは何か?本編③ ~“ヤマト”を日本語で探る~

縄文考 “ヤマト”とは何か?本編③ ~“ヤマト”を日本語で探る~

『縄文考“ヤマト”とは何か?』2.なぜ“ヤマのフモト”なのか?に続けます。
この「3.“ヤマト”を日本語で探る」ではヤマトコトバから『ヤマト』に込められた意味を探っています。

ヤマトコトバの背後には近代社会には薄れている縄文体質や気質が見え隠れしています。
このヤマトコトバの意味・背後を探るこで、我々がなんとなく抱いていた「ヤマト」のイメージと近づいてくる感覚があります。

この感覚は、我々の中に薄れてはいるが縄文体質・気質が継承されていることを示すものではないでしょうか

本編も気になりますが、その前に”ポチッ” と応援をよろしく願います

3.“ヤマト”を日本語で探る
 その他の意味を探りましょう。
最初に“ヤマト”を分解します。
ヤマトコトバの単語は2音で構成されることが多いので
ヤマ”と分解します。

“ヤマ”を調べると“やま(山)”しかありませんので、これは間違いなくMountainです。
“ト”を調べるとたくさんの意味がありますが、私が注目するのは並立助詞の“~と~”です。英語の“and”です。

“~と~”が最も重要な解明になります。日本語文章での助詞の働きに注目します。

日本語文章の中で“~と~”には驚くべき役割がありました。
「AとB」と表記します。A・B どちらが上位でどちらが下位でしょうか?答えは、
AもBも等価になってくっついています。

「鈴木さん“と”田中さん」
これはまったく違和感がありません。
「犬“と”私」この表現だと犬を家族の一員としている愛情が感じられます。犬はペットというポジションではなく家族の一員になり、人間と同一になっています。

では、「王様と私」「天皇と私」ではどうでしょう。このように書くと、ある違和感があります。等価ではない関係性を等価にしようとする表現上のレトリックを感じます。

「AとB」とは、AとBに差がない、区別がない、同じ仲間でくっついて同化している。
「と」にはそのようなチカラがあるのではないでしょうか。

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更に次のようにイメージしました。“と”によってたくさん“ツナ”げます。
AとBとCとDとEとFとGとHとIとJと・・・・・・
次にもっとイメージを膨らませてみます。

このように円環にすると“ワ”になります。
“ワ”と“ト”はこのように関わっていると考えられます。
「たくさんの“~と~”によって人と人が“ツナ”がり、“ワ”になる。」
これが“ト”の重要性です。
日本語において“ト”は人と人とを等価にし、“ツナ”ぐ役割をします。

日本語は漢字渡来以前から存在します。ならば単語の意味を探ることは「漢字」の成り立ちを調べる事ではありません。それは中国語を調べることになります。
当たり前ですがこのことを見過ごすことが多くあります。
国学ポジションから日本語(ヤマトコトバ)を調べるには日本語の中でコトバとコトバがどのような役割をしているのか?その微かな響きに耳をすまし聴きとることだと思います。
ここまでが“ト”の解明になります。ここからはなぜ“ヤマ”なのかを考えます。

“ヤマ”を全訳古語辞典 (旺文社)で調べます。
いくつかの意味がありますが、私がピンときたのが④と⑤です。
④多く積み重なっていること、またそのもの
⑤高くすばらしく、あこがれの対象となるようなもの、仰ぎ見て、頼りにするもの
これで“ヤマ”をMountainではなくGreatとも考えることができます。

ここまで調べると“ヤマト”は
“ヤマのようなト”
“たくさんのト”
“偉大なト”
“オオいなるト”の意味になり“ト”の重要性を強調する役割がありそうです。
つまり、“ト”の役割は人と人の同化だけでなく、人と自然(ヤマ)の同化をも含んでいるのではないでしょうか。そして、同化(“ト”の役割)を重要視していた縄文人の体質が窺え見える気がします。

次に“ヤマト”に別の区切り方を当て嵌めます。
マト”に分けます。

“ヤ”の意味を考えます。
ヤエガキ(八重垣)、ヤエヤマ(八重山)、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)、ヤクモ(八雲)、ヤハタ(八幡)などから“ヤ”は“8”の意味がありますが、“幾重にも”の意味があります。

“マト”はcircle/targetの意味があり、同心円をイメージします。
また、古語に残る“マトイ(円居)”にはたくさんの人々が丸く並んで座ることの意味があります。
“ヤエ・マトイ”だと考えると人々が幾重にも円くなって座っている車座のイメージが浮かびます。
生活実感として日本人の協調性や連帯意識、及び集団合議を表す言葉かもしれません。
集団合議の最終決定は意見を“マトめる”ことになります。

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「満州写真館」より 「大学連携和歌山」より

ヤマトが2音で構成されている考えヤマ” “マトの意味を考えてきましたが、特に前者の“ヤマとト”がしっくりくるように思われます。
しかし、言葉のアヤ(綾)からはどちらも縄文人体質・気質”を表しているヤマトコトバとしての「ヤマト」だと思われます。


 

【まとめ】
縄文人に同化して『ヤマト』を考えてみると、人と人の繋がりだけでなく人と自然(山)の一体化、あるいは自然(山)への同化と捉えることが可能な『ヤマ』と『ト』で構成されているようですが、決してそれだけでなく数多の意見を纏める=集団合議としての『ヤ』と『マト』で構成された場合の意味も考えて、縄文人体質・気質を表した言葉が『ヤマト』だったと考えられます。

この2種類の意味を兼ねた『ヤマト』を見出したのは、文字も持たずに話し言葉だけでやってきた縄文人だったからこそ見出せた言葉のアヤ(綾)なのかもしれませんね。

 

始原の言語・日本語の可能性~1.日本の爽やかな朝(アサ)と英国の穏やかな朝(morning)~

始原の言語・日本語の可能性~1.日本の爽やかな朝(アサ)と英国の穏やかな朝(morning)~

「日本語」シリーズ2投稿目です
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日本の朝:爽やかですね ヨーロッパの朝:くぐもってます
私はいつも、自分から挨拶をするようにしています。
朝の挨拶を自分からすることで、気持ちが引き締まって、
「朝が始まる!」 という感覚になれます。
「おはよう」という声をかけるだけで、ボルテージ上がっちゃいます
日本の朝 って感じがしますよね。
さて、私たちが普段、何気なく使っている日本語の言葉。
それには、感情や感覚、その国の情景などが密接に関わりあっているんです。
それを、黒川伊保子さんは分かりやすく例を挙げて表現してくれています。今回はそちらをご紹介します。
黒川伊保子「日本語はなぜ美しいのか」から引用

「朝よ、おはよう」
母親がそう言って、赤ちゃんを抱き上げるシーンを想像してほしい。
アサという発音体感には、爽やかな開放感がある。
オハヨウは、実際には「ォッハョォ」と、二拍目のハを中心にして発音される語で、弾むような開放感をもっている。したがって、「アサよ、おはよう」と声をかけた母親は、無意識のうちに自分の発音体感によって、爽やかな、弾むような開放感を味わっているのだ。
さて、注目すべきは、赤ちゃんの脳である。赤ちゃんには、目の前の人間の口腔周辺の動きを自らのそれのように感じとる能力がある。
このため、母親が無意識に感じている、爽やかな、弾むような開放感に赤ちゃんは共鳴して、一緒に味わっているのである。
透明な朝の光や、肌に触れる爽やかな空気や、抱き上げてくれた母親の弾むような気分とともに、脳の中に感性情報としてインプットされていくのである。

長じて、「英語で、朝のことをmorningといいます。おはようは、Good morningです」と習ったときには、なるほどと思うだけだ。
こうして、人生の最初に出会ったことばと、後に習った外国語とでは、脳内でことばに関連づけられた感性情報の量が圧倒的に違う。
「おはよう」と声をかけられれば、ぱっと目が覚めるのである。累々と重ねてきた朝の記憶が呼び起こされ、いやおうなく始まりの気持ちにさせられる。
英語圏の人たちの朝は、日本人の朝より、少し静かに始まるようである。
考えてみれば、このことばを生んだ英国は日本よりずっと緯度が高いので、日本のように、年中、朝の光が眩しいわけではない。冬などは、子どもたちの登校時間になってもまだ暗い。
実は、ことばは、このように風土とも無関係じゃないのである。眩しい朝を迎えることの多い日本人は、朝にアサAsaということばを与えた。喉も口も開けるAに、舌の上に息をすべらせて口元に風を作るSの組み合わせ。まさに、爽やかな開放感のことばである。オハヨウも、ハの開放感が目立つ、弾むような挨拶語である。
黎明の中や穏やかな陽光の中で一日を始める緯度の高い英国に住む人たは、くぐもった発音の「Good morning」で挨拶をし合う。いたわり合いつつ、徐々に活動を開始するイメージだ。
英国の人々は無意識に、「Good morning」の、鼻腔に響く、くぐもった優しさが英国の朝に似合うと判断したのであろう。
意識は語感を選び、また、語感は意識を作る。
何代にもわたって使ううちに、「Good morning」で挨拶を交わし合う人たちの朝は、「オハヨウ」と挨拶する人たちの朝より、ゆっくり始動する、優しいものになっていく。そうすると、ますます、朝の情景と「Good morning」の発音体感が似合ってくるのである。
「朝」と「morning」、「おはよう」と「Good morning」。どちらも、それぞれの国の朝に似合うことばであり、それぞれの人たちが心地よいと感じながら発音している。
どちらが良いかは、一概に言うことはできない。
しかし、鮮烈な朝日で迎える日本の朝には、日本語のアサ、オハヨウがよく似合う。日本に生まれ、日本の朝日の中で「アサヨ、オハヨウ」と言われて抱き上げられる赤ちゃんの脳には、素直に、ことばと情景の感性リンクが成立する。
もちろん、英国の薄暗い朝に、穏やかな低音で「Good morning」と言われて抱き上げられる赤ちゃんの脳にも、素直に、言葉と情景の感性リンクが成立する。
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こうして、その国の風土と人々の意識とによって、長く培われてきたことばが、母国語である。中でも、一つの土地において、似た骨格をもつ民族が、同じ生活習慣を重ねながら作り上げてきた母国語は、風土と意識と、身体感覚と、ことばとがしっかり結びついているので、ことばに込められた情感が深い。人々が暗黙のうちに、その情感で共鳴し合うので、意味ではなく「感じ」で伝え合うものが圧倒的に多くなる。

この「朝」と「morning」の対比、なるほどと感じていただけましたか?
無意識に爽やかな、弾むような開放感を「朝よ、おはよう」という言葉から感じて、それを赤ちゃんに伝えているお母さんも、自分が赤ちゃんのときにお母さんからそれを感じ取っているから、赤ちゃんに伝えることができます。
そうやって母語は母から子へ受け継がれていきます。
さらに、土地の自然環境や情景が合わさって、母国語が形成されていく。これが現在、私たちが使っている日本語なのです。
日本語はまさに、「自然から与えられた、母(祖先)から伝えられた言葉」なんですね。そう考えると日頃空気のように使っている日本語もすごくありがたいものに思えてきます。
次回は、これをもう少し論理的にご紹介

シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~プロローグ

シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~プロローグ

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こんにちは。
みなさんは、年末はクリマスイブ、年始は初詣。2月はバレンタイデー、8月はお盆、秋には豊穣祭。 :D と、色々な宗教の行事に参加されていますね。日本人にとっては全く違和感のないところですが、外国人から見るとかなり無節操に見えているようです。この違いはどこから生じるのでしょうか?1神教と八百万の神の違いなのでしょうか? :roll:
又、本能を直撃し 世界を驚嘆させた3.11では、日本人はすぐに集団第一・助け合いの行動に向かいました。これには外国人は相当に驚いたようです。
普段の生活でも、本能を直撃する状況でも日本人は明らかに世界基準と異なっているようですね。
何か深いところで、日本人と(1神教の)外国人の思考方法がことなっているようです。
この違いを、「宗教観」を元に日本人の特殊性として解明してゆきたいと思います。いつも応援をよろしくお願いします。

さて、このシリーズでは、こうした意識の元に以下のストーリーで進めてゆく予定です。
もちろん、この激動の時代にあって、時々刻々の状況に応じて組み替えて行く予定です。
どうぞご期待ください。
第1回:プロローグ
第2回:現代日本の宗教観
第3回:祖霊信仰とは何か?誰が持ち込んだのか?
第4回:それ以前の日本人の原始宗教観とは?精霊信仰とは?
第5回:神道と日本の原始宗教とのつながりとは?神社NWとは?
第6回:仏教が日本に定着したのはなぜか?
第7回:神仏習合はなぜなされたのか?
第8回:日本人の信仰は一神教世界とどう違うのか?
第9回:日本人の可能性は?

シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~第2回:現代日本人の宗教観宗教観

 宗教観

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 現代、日本人の宗教意識の調査はいくつもありますが、その一例を挙げると、2008年5月に行われた読売新聞社の調査に、日本人の特徴が顕著に現れているようですのでご紹介します。
『日本人の宗教観がカオス過ぎる理由(私感)』からご紹介します。

 読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じている人26%にとどまり、信じていない人72%に上ることがわかった。
 ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、 「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%薄いとは思わない人49%と見方が大きく割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。
 多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。

日本は、先進国のなかでも無宗教率が非常に高く、72%もの人々が、特定の宗教を信じていないと回答しています。少なく見積もったとしても、約半数以上は、このような宗教観をもっていて、かなり高い比率だと思われます。宗教心の濃淡は50:50で割れ、逆に、先祖を敬う気持ちは94%の人が有し、自然に超越的な力を感じる人は56%もいるという結果です。
 一見、無宗教という我々の意識と断絶しているように見えますが、これが、日本人の宗教観の特殊性を感じることころです。観念力の希薄な日本人とも言われますが、なにか歴史的な理由があるように思います。それらが、日本人の可能性になにがしか、つながっているようにも思えます。まずは、各国の宗教観と日常の日本人の宗教的習俗・風習をご紹介しながら見て行きたいと思います。
いつも読んでいただきありがとうございます。
———————————————————-続き
◆各国の宗教観
電通総研・日本リサーチセンター編「世界60カ国価値観データブック」の各国の宗教の分析、その他のサイトから各国の宗教を見てみましょう。
社会主義国家、共産主義国家で無宗教率が多いのは、『特定の宗教を信仰してはならない』という国家政策による要因が大きいので除外して考えてみたいと思います。

キリスト教プロテスタントローマ・カトリックギリシャ正教等含む)
ギリシャ:93.4% ・イタリア:81.2% ・スペイン:81.1% 
・ドイツ :70.0% ・イギリス:64.9% ・フランス:52.6% 
アメリカ:49.4% ・ロシア :47.5%
ユダヤ教
イスラエル:85.3%
イスラム
・イラン :97.5% ・トルコ:96.6% ・ヨルダン94.3% ・インドネシア:92.5%
ヒンズー教
・インド :72.2%

上記は、一神教であるヒンズー教イスラム教、キリスト教ユダヤ教の分布です。この地域は、歴史的にも、略奪や戦争、植民地政策、厳しい自然環境に苛まれた場所と合致していて、私権社会5000年に渡る結果として、このような宗教観(唯一絶対の神の世界)が形成されたのだろうと思います。また、インドのヒンズー教は、バラモン教から聖典カースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成された多神教となり、現在も信仰されています。上記では、50%程度の人々がキリスト教信者であるアメリカですが、こんな記事もありました。
●アメリカ人の九割が神を信じている

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ニューズウィークが先日実施した世論調査によれば、アメリカ人の実に91パーセントが神の実在を信じている。何らかの宗教団体に属しているものは87パーセント、最も多いのはもちろんキリスト教徒で82パーセントを占める。
人口の半数近い48パーセントの人が、ダーウィンの進化論を排斥しており、大学卒業生の三分の一が、聖書の天地創造説を事実だと考えている。特に信心深いとされるプロテスタント福音主義者にいたっては、73パーセントもが、人間は神が自身の姿に似せて作り給うたのだと信じているそうだ。
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 この記事は、固く信仰を貫く米国と雑多な宗教観の日本の違いが明確に現れていて、正反対の現象と思われます。現実の充足の場である本源集団が悉く解体され、観念にすがるしかない傾向の国と村落共同体充足の場が連綿と残存してきた国の違いであるように思います。アジアは、仏教、イスラム教が主流ですが、日本、韓国、ベトナムは、無宗教が多く、日本は、無宗教・仏教が主流です。我が国では、無宗教と主張する人々が多い反面、日常、信心は意識せずとも宗教的行事に参加していることに気づきます。具体的に見て行きましょう。
お盆
・お盆は、祖霊を死後の苦しみから救済するための仏事で仏教行事です。旧暦の7月15日を中心に、供物を供えて祖先の霊を家に迎え。13日に迎え火を焚き、16日におくり火を焚いて送り出すような風習が染み付いています。
命日・墓参り
・命日は、個人の死去の当月当日や月忌があり、仏壇にお花を供えたり、お墓参りをしたりします。特に、一周忌、三周忌、十三周忌、十七周忌、三十三周忌の墓前の法要は、仏教徒でなくても行われ、お寺、もしくは自宅に僧侶を呼び、お経を唱えてもらい、家族そろってお墓参りすることが多いです。
お彼岸
・彼岸は、浄土を表し仏教用語です。春分秋分の日を中日とした前後の7日間に仏事を行うことで、春分の日秋分の日がそれぞれ国民の祝日にまでなっています。これは、日本独自の仏教行事で法律にも「先祖を敬い、亡き人を偲ぶ日」と規定されています。個人やご先祖の冥福を祈る追善供養、己の功徳を積むことの意味があるようです。
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地鎮祭上棟式・提訴式・竣工式
・最近は、地鎮祭は、安全祈願祭とも起工式とも言いますが、よく、政教分離に違反するものとして裁判沙汰になってしまう場合があります。その判決は、習俗的行事であり、神道の布教・宣伝を目的とするものではないので、憲法違反でないと結論付けられたり、されなかったりで、非常に曖昧な判断になっています。法的には、宗教行事なのか?習俗的行事なのか?わかりませんが、社会通念上は、神主さんは信者を増やすということを意識されていないし、私たちも建物の建設の無事完成と安全をみなで祈るという意図だけであり、神事式でも仏式でもその他の様式でも気にせず、出席していますね。
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クリスマス
・イエスキリストの降誕(誕生)を祝う祭で、キリスト教のれっきとした宗教行事であるが、日本では、年末の風物詩の一つとなり、仏教徒神道信者と称していても、ツリーを飾り、クリスマスを祝う。江戸時代に幕府がキリスト教を徹底的に弾圧したことから、明治の初めまでまったく受け入れられなかったにも係わらず、戦前、戦後より、民間企業はマスコミなどの先導により、普及し、大衆化し、キリスト教信者でなくても抵抗なく、楽しんでいる。
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節句
・七五三では、千歳飴を食べて親が自らの子に長寿の願いを込めて、わが子の成長を祝います。必ずといっていいほど誰もが、七五三の写真を持っているようです。もともとは、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったことが起源とも言われていますが、氏神とは、神道の神。神道の風習であり、それは、意識していませんね。
・七夕は、緑・紅・黄・白・黒の五色の短冊に願い事を書き、葉竹に飾ることが一般的に行われています。五色とは中国の五行説からであり、陰陽道とつながるところがあります。もともとは、お盆の行事の一環。江戸時代中期には既に江戸で七夕祭りが始まっており、仏教と庶民の先祖供養の習合による宗教にまつわるもので、織姫と彦星の伝説は、妙見信仰にもつながるという説もありますが、あまり、意識していません。
五節句と言われる、1/7人日の節句(七草)・3/3桃の節句(雛祭り)・5/5菖蒲の節句端午の節句)・7/7七夕・9/9菊の節句で陰陽思想に通じるところがりますが、意識していませんね。
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初詣、除夜の鐘、初日の出
初詣が習慣化したのは、明治時代中期ころのようで、もともとは、「年籠り」と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る習慣で、それが発展して、年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事となったようです。一年の感謝を捧げたり、新年の無事と平安を祈願したりしていますが、神道の行事でありながら、寺院・仏寺など意識せず詣出ていることが多いようです。今や、日本人の風習として、初日の出、除夜の鐘などとともに固定され、宗教行事でないかのように振舞われます。
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節分・豆まき
仏教行事なのか神道行事なのか?わかりませんが、古来日本では、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払いの行事が執り行われたようです。豆撒き行事は、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べ、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもあります。鬼に豆をぶつけることで、邪気を払い、無病息災を願うという意味合いがりますね。寺社が邪気払いに行った豆打ち儀式が起源のようですが、日本では室町時代以降の風習のようです。これも、あまり、宗教行事と意識せず私たちは楽しんでいます。
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こうしてみると、もとは、宗教や信仰に起源があるとしても、ひとたび習俗や風習となってしまったものはもはや宗教と見なさいという価値観が日本人にはあるようです。縄文人の受け入れ体質の影響か?古代人の自然への感謝の念からか?日本人は、こういった意識が寛容で、広く、許容できる柔軟な観念体系をもっているようです。しかし、排他的性質のある宗教に限定的に帰依することを嫌い、争いごとを好まない日本人の宗教観・観念体系は、これまた、おもしろいなぁと思いました。
阿満利麿(あま・としまろ)氏の著書「日本人はなぜ無宗教なのか」より、日本人の宗教観の特徴を示す事例がありましたので紹介します。

無宗教」「無神論者」という言葉が、どれだけ無造作に使用されているかのよい見本がある。それは、ある本を読んでいて発見したのだが、村祭りに欠かせぬ人物として、村人から絶大な支援を得ている神主が、こともあろうに、無神論者」を自認しているのである。
 その神主は、「神仏に敬虔であるから神主業を努めているのではなく、 【むらがそれを必要とするから、また、私のなかでも家系や地縁が断ち切れない重みがあるから、これを役目と心得て】そうしている」といったあと、「無神論者である私のような立場の者が、祭祀役が務まるのも、また、日本のむらの祭りではなかろうか」と結んでいる(神崎宣武「いなか神主奮戦記」より)

 私も共感できる部分が多く、むらや周りの人々が期待するから、宗教行事も風習や習俗に定着して、宗教行事であることも意識せず、受け入れ、多様な観念体系を作っているのだろうと思います。これが、現代日本人の宗教観であり、それを無宗教といっているにすぎないのではないか?と思います。
 前述したアンケート結果では、その中でも92%のものが先祖を崇拝すると語っています。この先祖崇拝=祖霊信仰がなぜ、こんなに多いのか?その成り立ちを見てゆくことで、また、私たちの観念体系が理解できるのではないかと思います。次回にご期待下さい。