「日本人の‘考える力’を考える」シリーズを始めます。

「日本人の‘考える力’を考える」シリーズを始めます。

●難局を前にして、「日本人は自前でモノを考えだすのか?」
ご無沙汰してます、怒るでしかし~です。
私権統合の崩壊が、家庭、企業、国家、そして市場社会の崩壊現象として、顕在化しつつある。それに対して、人々は、遊び第1から課題収束へと転換し、そこかしこで、真面目な仕事話に取り組み、若者の多くが「社会の役に立つ」仕事を求めだしている状況は、縄文以来の伝統である共同体的精神をもった共同体企業の時代が到来したといっていいだろう。他方、政治レベルでみれば、官僚・マスコミの暴走に翻弄されているものの、支配力の低下は明白で、大衆自身による社会統合への兆しといえる現象も現れ始めている。(事業仕分け名古屋市の地域委員制度等)
しかしながら、人々の秩序収束上の諸現象は、資格収束、目先収束や、安易な右傾化等、必ずしも健全な思考力を伴っているとはいい難い現象も多い。専ら、舶来信仰に依拠し、外来思想の受容を旨としてきた日本人は、果たして現代の難局を前に、「自前でモノを考えだすのか?」のだろうか。
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写真は新潮文庫「日本人は思想したか」梅原、中沢、吉本3氏の鼎談。和歌の起源、日本神話の特異性、日本仏教の特異性等、推薦の参考書。

●日本人の‘考える力’1~現実・潜在思念に即して考える実践思考力
歴史を振り返るならば、原始人は、原観念というべき「精霊」を生み出し、それを基礎に、様々な自然外圧を受けながらも生き延びるための実践思考を育んできた。
そうした実践思考が弓矢の発明以降、集団の膨張と、定住化という流れを生み出すと、集団間の緊張圧力を緩和するための、贈与等による超集団関係の構築へと舵をとった。ここでは、複雑な婚姻制へと発展しているケースもあるし、様々な神話により自我を戒めるための規範が語られるようになる。新石器時代、日本における縄文時代には、支配国家とは異なる道を歩んだという意味で、実践思考を超えた「社会を対象化した思考」の萌芽を感じ取ることが出来る。
そのような縄文的思考は、弥生以降、大陸から支配階級がやってきて、日本に私権統合と古代宗教を持ち込んでも、生き続けてきた。例えば、中国流の官僚制度=科挙は採用せず、統合の中心に保存された天皇制は社会統合に縄文以来の「女原理」を保存させてきた。
中央集権=官僚国家を拒んだ日本
天皇制が担っていた役割とは何か
また奴隷社会インドに生まれた仏教は、正邪の二元論を出発点とするために、仏になるために極めて高度な思弁や修行を必要とする。それに対して日本仏教は、即身成仏、悪人正機、全ての人は誰でも仏になれる、もっというと草木にも仏性があるという、縄文以来のアニミズムにどんどん接近していく。
日本人の観念探索は潜在思念と現実の肯定視を導いてきた
このように、渡来の私権制度・古代宗教を取り入れながらも、一貫して、具体的に自分たちの実感、潜在思念に合致するように、制度や思考を組み替えてきたのが、日本人であった。日本人が思考することを‘物を考える’というのは、縄文以来の伝統である、実践思考、潜在思念思考を踏まえての表現なのだろう。(西洋の技術は取り入れても思想はとりれないという和魂洋才という発想も、この流れにある)
ヨーロッパには俗に「神学論争」といわれる「教会の中でしか意味のない解釈論争」が存在するが、日本には現実・潜在思念と遊離して観念遊戯にふける、という伝統がない、ともいえる。この縄文以来の「現実・潜在思念」から遊離しない「実践思考」の伝統は、空虚な欺瞞観念から脱却し、充足発の肯定視空間を生み出し「共認の輪」を広げていく上で重要な資質といえるのではないか。
●日本人の‘考える力’2~不毛な争いを回避した超集団発想力
「支配して初めて考える」というのが古代宗教、近代思想の原点にあることは間違いない。しかし、縄文以来、「支配のための思考」はないものの「支配-被支配という関係を超えた、超集団の思考」は存在したのではないだろうか。
例えば、縄文時代の石器のデザインも土器のデザインも、その背景には、集団の移動や人口増加による、集団間の縄張り緊張圧力が関係している、といっていい。
>(縄文の)美の特質が最大限に発揮された地域は、縄文時代の中でも前期から中期にかけての東日本を中心とする地域だった。このころの東日本は・・・多くの人口が集中した地域だった・・・濃厚な縄文の美が生み出された基本的な条件は、人口の密集であったと考えられる。(進化考古学の大冒険 新潮社2009 松木武彦)
>異集団との遭遇がもたらした緊張が、実用性を離れた石器の精密・過大化、すなわち「過剰デザイン」を生んだのではないか。(日本人とは何か 柏書房2010 安斎正人)
縄文デザインは、集団を超えた共通コードを持ちつつ、各集団において独自性を発揮し、いわば、縄文精神の表現度を競い合っているかのようである。これは一種のより広く、深い共認充足を求め合う共認闘争関係である。
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写真はhttp://www.asahi-net.or.jp/~eg7k-kbys/doki.html様よりお借りしました。
こちらのHPにも書かれていますが、縄文デザインは日本が世界に誇る芸術品です。

そして、その後の古墳が世界においても郡を抜いて巨大化していったのも、各豪族が、不毛な争いを回避し、談合し、その談合力を土木工作物の大きさとして競い合った結果、だとみることもできる。
さらには南北朝の対立、明治維新という大混乱においてさえ、結果的に敵対勢力を排除することなく、むしろ敗者の怨霊を畏れ、祀りながら、国家統合を図ってきた。本来、日本神道の本質は、敗者のルサンチマン=自我が暴走することを抑えこむところにある。(被征服者、私権闘争の敗者に対する惧れを表明した外来信仰のみが日本の信仰として定着することも可能となったともいえる。)
いいかえれば剥き出しの「力の原理」主義者は、ほとんど存在せず、常に、和平的統合を追求してきたともいえる。その日本がアメリカ発の「新自由主義者」=力の原理主義者たちに蹂躙されているという現在的矛盾はあるものの、むしろ、日本はアメリカ発の力の原理主義者が敗北すれば、世界共認をリードしていける可能性があるのではないだろうか。
◎シリーズの予定
以下、本シリーズの予定を示しておきます。(ただし、あくまでも予定です。)
1.序:追求の目的と視点         8・13
2.縄文土器土偶にみる縄文人の思考力  8・18
3.銅鐸、銅剣、銅鏡にみる弥生人の思考力 8・25
4.日本神話にみる国家統合の思考力1(スサノオオオクニヌシ神話) 9・1
5.日本神話にみる国家統合の思考力2(天孫降臨神話) 9・8
6.万葉集とかな文字の誕生にみる万葉人の思考力 9・15
7.中世惣村の誕生と観念力の大衆化   9・22
8.鎌倉仏教~仏教の日本的受容の変遷  9・30
9.南北朝は何を争い、いかに収束したか 10・6
10.能や狂言にみる日本的芸能の思考力 10・13
11.国学に見る日本人の観念力     10・20
12.江戸=脱戦争の思想        10・27
13.幕末の政治思想とは何だったのか? 11・3
14.日本人の観念力の正体とその可能性 11・10