縄文考 “ヤマト”とは何か?-序-

縄文考 “ヤマト”とは何か?-序-

みなさんこんにちは。
今日は、以前 当ブログで紹介させていただいた、「ツタ考」の作者のfirstoilさんの新シリーズを紹介させて頂きます。
firstoilさんは画家を専業としつつ里山保全等も活動されており、また「ツタ考」のよう日本人の持つ潜在感覚とに歴史事実に基づいて、縄文由来の世界観を洗練された表現で伝えてくれる方です。
今回は出来たてホヤホヤの新作 シリーズ「縄文考“ヤマト”とは何か?」の序文を当ブログで紹介させていただきます。
実際の中身の検証については序に続く本編で展開されていきますが、なぜヤマトに着眼しようとされたのか、この序を読むとわかるような気がします。
それでは、“ヤマト”の世界をご堪能ください。       

-序-
東日本大震災から一年が経ち、復興に向けて人と人とが“つながる”ことが重要視されています。この震災により日本人同士の“絆”を再確認することとなりました。
私たちは未曾有の震災から言葉を失い、徐々に復興に向けての言葉を産み出しています。
2011年をあらわす漢字は“絆”になり、“つながろう”も多く使われるようになりました。
この文章は“ヤマト”についての論及ですが、今の私たちにとって大切な言葉である
“つながろう”と“絆”を最初に取り上げて考えます。
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“繋(ツナ)がる”と漢字表記されますが、読みは名詞の“綱(ツナ)”と同じ音です。
“繋がる”の意味は
①つらなり続く。継続する
②ひかれる。ほだされる。
③結ばれる。関連する。(広辞苑より)
となります。“繋がる”の意味は“綱”の形状と関連する内容を多く含みます。
であるなら、名詞を動詞化して“つながる”になったと考えられます。
“絆”の語源は「動物をつなぎとめる綱」「引き綱」のことをいい、
「動物や人を束縛して動けなくする」ことから転じて、
「人と人の強い結びつき」「断ち難いつながり」という意味になったようです。
読み方は“キヅナ”と表記されますが、ここにも“ツナ”が使われています。
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どちらにも“ツナ”が使われています。だとしたら
震災後、日本人に必要な言葉には「ツナの思想」があるのではないでしょうか。
そしてそれは「縄文土器」と結びつきます。唐突に感じるかもしれませんが
縄文土器には装飾に“縄目文様”が施されています。
土器のカケラをみつけると必ずと言っていいほど縄を押し当てて転がしてできた縄目文様があります。
“縄(ナワ)”も“綱(ツナ)”も繊維を螺旋状に撚り合わせたロープですが、違いは太さにあります。装飾の意味は綱(ツナ)に隠されています。
縄文土器の縄目文様は“綱文様”と解釈することにより文様に込められた思いが理解できるのではないか、そのように私は考えています。
縄文土器に施された“綱文様”は人と人が繋がり合うことの重要性を説いた
「ツナの思想」を表します。
縄文時代における「ツナの思想」とは、どのようなことを重要視していたでしょうか。
縄文時代の社会状況から考えると、それは「生きること」「続くこと」が中心になります。
そのため、男女の性交によって“ツナがる”こと、そして子や孫に命が“ツナがる” ことになります。
それは「気が遠くなる程つづく、血縁関係や共同体に自らの存在を実感する」という
思想になります。
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もうひとつ、現在もっとも重要なのは
「人と人が助け合う相互扶助の“ツナがり”」です。
私は言葉の“ツナ”に込められた思いを考えると、日本語とは縄文人が積み上げて作り出した「ヤマトコトバ」であることを強く感じます。
これから日本語(ヤマトコトバ)は縄文時代から続く言語であるという前提に立ち、
ヤマトコトバ」の“ヤマト”にはどのような意味があるのかを推論します。
そこに縄文時代から続く祖先の知恵があると考えられるからです。

大和魂大和撫子、確かに現在でも私たちはこの言葉を使う時に何か特別な思いを込めているようにも思います。そのヤマトがわずかに短い期間ですが、日本の国称になっていました。最初についた日本の名称はヤマトだったのです。きっと何か意味があるに違いない。
この序のfirstoilさんの問題意識に同化すれば、このヤマトの意味を追求する事が私たち日本人の意識の解明に一石を投じるのではないかとわくわくしてきます。
前回のツタ考は何度も推敲を重ねた美しい文章でした。これから紹介していく今回の“ヤマト考”の本編は美しいというより、著者がどきどきしながら追求している過程が伺えます。