始原の言語・日本語の可能性(10)~早期英語教育は危険!?~

始原の言語・日本語の可能性(10)~早期英語教育は危険!?~

始原の言語・日本人の可能性シリーズ第10弾です
近年、日本では小学校でも英語が必須になったりと、早期英語教育が重要視されてきています。更に、もっと小さいうちから、英語を学べる施設も多く存在しています。
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そんな早期英語教育のメリットは・・・・
・子供は英語に対する抵抗感がないこと
・言語能力はスポンジを吸収するように発達する。
・LとRの聞き分けができる(1歳前後まで)
・遊びの中で習得できる
確かに、幼少期から英語が話すことが出来れば、何だかかっこいい感じもします。
ところが、早期英語教育を間違った方法で行うと、英語はおろか、日本語までも十分に話せなくなってしまうようです
今回ご紹介する記事では、そんな早期英語教育の危険性と、母語教育の大切さを教えてくれています。
引き続き、黒川伊保子「日本語はなぜ美しいのか」より引用します。

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日本語は美しい。
日本の風土の中で、日本語の使い手である母に抱かれて育った者には、日本語は美しいと感じられる。これは、ごく自然のなりゆきである。
また、日本語だけが作り上げる意識の世界があり、その意識の世界で察し合う私たちには、日本語でなければ伝えられないことが山ほどあるのである。
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(中略) 
日本語をないがしろにすることは、「日本」を失うことである。だから、日本語を大切にしよう。こう言われて、ノーという日本人は少ないと思う。
けれども、実際に、母国語を大切にするということの意味が、ほんとうにわかっているのだろうか。
母国語は、自然に耳に入るから、放っておけば自然にしゃべれるようになると思っている親がごまんといるが、それは違う。脳が最初に出会う母語は、母親(主たる保育者)と触れ合いながら口頭で伝えられて、初めて脳に刻み込まれる。母国語を子供の母語にしようと思ったら、三歳までは、他の言語と混ぜないで、しっかり伝えなければならないのだ。
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英語交じりの日本語で育てられた子供の母語は、あくまでも「英語交じりの日本語」である。
こどもの脳は、英語と日本語の二つの完成された母語を手に入れるのではなく、半端な英語と半端な日本語がごちゃ混ぜになった、ゆがんだ言語モデルを手に入れる。このおかしな言語能力で、一生、生きていかなくちゃならないのである。当然、ものごとの解釈が英語圏の人とも日本人ともずれてしまう。ユニークといわれてもてはやされればいいけれど、いったんうまくいかなくなったら調整が効かない。ひどいときはコミュニケーション障害をきたすことになる。 ただし、外国で育った場合や、両親の母語が異なる場合は、これとは違う。それは、日常触れ合う二つの言語が、どちらもそれを母語とする人から、生活体験とともにインプットされたものだからだ。単独の母語をもつ人とは多少感じ方が違うものの、調整の効くコミュニケーション能力は身につけることができる。
 しかし、できれば、どちらかの言語に軸足を置くことが望ましい。主体と決めた言語の語彙は、心して増やすことである。もしも、母親の母語でない言語を主体言語として選択したなら、現地のベビーシッターを雇うくらいの配慮が必要だ。
 子どもの母語を完成させるということは、意外に覚悟がいることなのだ。
 それなのに、「子どもが英語ぺらぺらなら、すごくカッコイイ」と思っている母親たちがたくさんいる。英語を母語とする人が家族にいるわけでもないのに、早くから英語を介入させて、子供の脳の母語形成を気楽に破壊している親がいるのだ。
 (中略)
 たしかにドイツ語も美しいし、中国語も、英語も、フランス語も、世界中のことばが美しいのだけれど、今は、そんなフェアなことをいっている場合じゃないのである。「日本人なんか消えてもいいんじゃない?世界がみんな同じになって”地球人”になればいいんだよ」なんて、ユニバーサルなこともいっている場合じゃない。
 もとより風土と骨格がユニバーサルじゃないんだから、世界中が同じ言語でしゃべってら、その言語と合う風土と骨格で生きられる優勢民族と、その言語と合わない風土と骨格で生きなければならない劣性民族ができてしまう。日本列島の小柄な骨格の人々が、強い子音で話すことばを採択したら、どうしたって、後者になってしまうに違いないのである。
(中略)
とはいうものの、脳に母語の機能が定着する一二歳を越えたら、何語でも何ヶ国語でも、好きなだけ勉強すればいいのである。したがって、おとなたちが英語を公用語にすることは、ほんとうは問題になどならないのだ。問題は、そういう制度にすると、若い母親たちの気持ちがはやって、子どもたちの日本語習得の環境が脅かされるところにある。
 実のところ、母語の大切さを、若い母親たちが認識してくれたらいいだけのことだ。しかし、本質的な理解というのは、広まりにくいものである。「○○を飲むと痩せる」などという情報は、全国の女性たちにあっという間に知れ渡るのだが。
 やはり、気の利いたおとなたちがみな、日本語は素晴らしい、日本語は脳にいい(正確には、日本という風土で生きる日本人の骨格と脳には最適)と、言い続けるしかないのではないだろうか。

心を表現することばを失った子どもたちが、おとなになる社会を考えると、現在のニート現象どころの騒ぎではないような気がする。
 脳は、ひとりでおとなになることはできない。母語は、脳の基本機能に深く関与している。親と子どもの母語関係をしっかり築くことが、人間形成の基礎なのではないだろうか。

脳が最初に出会う母語は、放っておけば定着するものではなく、
母親(保育者)と触れ合いながら脳に刻まれ、形成していくものなんですね。
「子供が英語ぺらぺらならかっこいい」なんていう安易な理由で、母語が定着しないうちから英語を生活に混ぜてしまっては、正しい言語能力は身につかなくなります。
誰にでも、何にでも感謝し、心と心を寄せ合う優しい日本人をこれからも育ててゆくために、日本という風土の中で培われた『美しい日本語(母国語)』を次世代に正しく大切に伝えていきたいですね