東北人は同化の民~縄文時代から塗り重ねられた、まつる心~

東北人は同化の民~縄文時代から塗り重ねられた、まつる心~

東北の祭りといえば、跳ねるねぷた、鬼に扮するなまはげ鬼剣舞、動物に扮するえんぶりや鹿踊り、霊を下ろす恐山大祭などがあります。
%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%83%88~1.JPG chanpic_151.jpg
青森のねぷた          秋田のなまはげ
20101022-kitafujine_shi.jpg 21%E3%81%8A%E5%BA%AD~1.JPG
岩手の鬼剣舞          八戸のえんぶり
20110721061700.jpg osorezannoitako.bmp
岩手の鹿踊り          下北の恐山大祭
世間一般の祭りでは神様や祖霊が別に居て迎えるかたちが多いですが、東北では精霊と一体になるものが多いように思います。
 
その源流は縄文時代まで遡ります。
土製仮面の出土が多い東北
03.jpg 03-1.gif
秋田県麻生遺跡出土の土製仮面(左)と主な土製仮面の出土分布(右)   
縄文時代仮面が出土することがあります。これはシャーマン(女性の長)が身につけ、精霊となってまつりをおこなったと考えられます。その出土数は全国で140ほどですが、その多くが東北(青森が最多)です。原始人類社会では、精霊に扮したり、霊のことばを語る文化が普遍的に見られますが、日本においてはその最盛期が縄文時代で、そのような文化が現代まで息づいているのが東北地方なのです。 
どうして東北なのか  その答えを求めて縄文時代土偶から紐解いてみます。

縄文人が“生”の恵みを祈った土偶
 
shakou.jpg
 
狩猟採集で暮らしていた縄文人にとって、自然は恵みを与えてくれるものです。精霊への祈りとは、恵みを与えてくれる精霊にひたすら同化し、これに応えようとすることでした。
 
土偶は、そのような“恵み”の中でも最も重要な「生殖」にまつわる「お産」に関連しています。その多くが、女性であり、性器や妊娠線を強調されたものも多くなっています。当時のお産は死産も多く、命がけだったと思われます。乳児の遺体は壷に入れ住居に埋めて次の生を願う。縄文時代にはそのような風習の跡が多く見られます。
 
そんなお産に際して精霊に祈るのは極自然な行為だったことでしょう。土偶は生への恵み・死を遠ざける祈りの象徴物で、ほとんどがバラバラにされているのは死を精霊世界へ返し、再生を願う気持ちが込められていると考えられます。
 
doguugurahu.bmp
縄文時代土偶の数
 
この土偶縄文時代の後期から晩期にかけて東北地方で急増します。出土数は東北地方が最も多く、岩手県が最多です。これは縄文時代後期、寒冷化とともに縄文の中心地であった関東や中部の人口が急減し、西からは弥生勢力が席巻する中、東北こそが縄文文化を継承したためだと考えられます。精霊に祈る縄文人の精神は、東北の地に色濃く継承されていったのです。
 
   
土偶への祈りを引き継ぐアイヌ
 
土偶への祈りは、次いでアイヌに引き継がれます。遺伝子の分析では、現代日本人に広く分布する系統の4割はアイヌと同一で、これは日本人とアイヌ人が縄文人という同一の系統から枝分かれしたことを示唆しています。東北にはアイヌ語由来の地名も多く残っていることからも、アイヌとなった縄文人は少なくないでしょう。
 
4d0a7761.jpg
アイヌとイナウ
 
そう考えると、縄文の土偶アイヌの「イナウ」に受け継がれたと考えられます。イナウとは木に霊を宿して作られる供物です。元々は広く精霊全体を表した木の霊(シランパカムイ)から発展したものと考えられます。木は縄文土器の縄目模様にも通じます。イナウは縄文時代における土偶縄文土器への思いが結晶したものと言えるでしょう。
 
  
現代の土偶「おしら様」
 
lrg_20592699.jpg
岩手のおしら様
 
縄文時代土偶アイヌのイナウはかたちを変えて現代に受け継がれています。それが「おしら様」です。おしら様は、東北地方から北海道地方に見られる風習で、木を削って顔を描き服を着せた人形です。これを現在でも家々で家の守り神として祀っています。
 
東北地方にはおしら様の祭日というのがあり、その際には本家の老婆が祭文を唱えたり、少女が御神体を背負って遊ばせたりするそうです。そこから、かつては同族的な系譜を背景とする女性集団によって祀られていた考えられているそうです。
  
おしら様は、現代では女の病の治癒を祈る神、目の神、子の神、農耕や養蚕の神など、やおよろず的な役割がありますが、生活様式の変化とともに大きく役割も変化してきたのでしょう。身近にある精霊という意味ではまさに「土偶の末裔」といえるでしょう。
  
 
東北の祭りの底流にある身近な精霊たちへ祈るこころ
 
このように、東北の人々は何千年もの時を越えて、常に精霊とともに過ごす文化を営んできました。その根底には、豊かである一方で厳しい自然があり、常に畏怖と感謝を抱き、だからこそ集団性を強く保ち続けてきた環境があったのでしょう。
 
東北に限らず祭りというと発散系の行事が思い浮かべますが、これは弥生以降の稲作文化の収穫祭の系譜であり、東北地方のまつりの底流にあるのは、身近にいる精霊に対して静かに祈る心です。
  
東北の人々は、その豊かな自然に守られ、
いまでも精霊とともに生きつづけているのです。

 
このおしら様は、村落共同体の衰退とともに、数は少なくなってきているようです。しかし、その精神は別の姿となって、日本全国に伝播されています。
それが「こけし」です。
 
i_tohoku.jpg
東北のこけしより
  
こけしは東北地方発祥の玩具ですが、これは東北のおしら様を源流とするものです。その創造の原点は、おしら様と遊ぶ少女の姿にあったはずです。
 
あなたの家にこけしがあれば、思いをめぐらせてみてください。縄文時代から受け継がれた精霊(自然)への祈りの心を。東北の人々のことを。