新春企画「象徴の蛇・隠喩の蛇」~2章 世界の蛇信仰を探る~

新春企画「象徴の蛇・隠喩の蛇」~2章 世界の蛇信仰を探る~

1章では、日本の蛇進行について書かれていましたね
日本の文化には多くの蛇が象徴化されそれを信仰するよう展開していました。
象徴化したものを信仰していたのは、蛇に対する「強烈な畏敬と物凄い嫌悪」からだとか
2章では、世界の蛇信仰について探っていきます。

ここからは吉野裕子著「蛇 原始日本蛇信仰」(法政大学出版局1979年)から更に踏み込んで安田善憲著「蛇と十字架」(人文書院1994年)を
テキストに人類史における蛇の役割を見ていきましょう。
blog.jpg
安田先生の専門は花粉分析を手法とした環境と文明を研究する「環境考古学」です。
始まりは1992年に安田先生が吉野先生と初めてお会いしたエピソードから始まります。
その時に教示を受けた内容が
「安田さん、しめ縄は、実は蛇なのですよ。そう、からまって交合している雄と雌の蛇なのですよ」

この話を聞いて、安田先生は脳天を打ち割られる気がしたそうです。
そして長い間抱いていた謎が一気に解けることになりました。
----------------------------------
「蛇がなぜ邪悪になったのか」
現在では“へび”は人類史において邪悪な象徴にされています。
皆さんが思いだすのは旧約聖書の「エデンの園でイヴが蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べる」という「狡猾で邪悪な蛇」ではないでしょうか。
しかし、古代地中海世界では“へび”は地母神のシンボルでした。
blog2.jpgクレタ島 地母神
地母神像は豊満な乳房を露わにし、両手に蛇をにぎっています。
それは豊穣と性のエネルギーを表し、恐ろしい力を持つ大蛇を自由にあやつる力を誇示しています。
旧約聖書成立以前の古代地中海世界多神教による地母神信仰で満たされていました。
“へび”は森の神・自然の神であり不死・再生そして生殖の象徴である主神でした。
しかし紀元前1500年から紀元前1000年の頃に大きな世界観の変化があります。蛇をシンボルとする大地の女神を殺し、天の嵐の男神を崇拝するようになりました。天候神バールの登場です。
天候神バールは太陽の力を持ち、嵐と雨の神であり、豊穣と多産の神でした。天候神バールの彫像は左手に“へび”を掴み、右手の斧で殺そうとしています。
神話の中で七つの頭を持つ大蛇ヤムと闘い勝利します。
blog3.jpgバール神
地母神が蛇を掴むのは蛇の力を体現し、自由に操る力を誇示しますが
天候神バールが蛇を掴むのは蛇を支配し、殺し、勝利した姿になります。
信仰の中心は大地の女神から天の男神へと転向されました。
ヘブライ人の故郷カナンの地でも大地から天への転換が起きました。
それはモーゼがシナイ山において十戒を授かる天候神ヤハウェの登場です。
blog4.jpgモーゼと十戒
地母神信仰の時代は多神教でした。
天候神バールの時代も、まだ多神教でした。 
しかしヤハウェは決して他を認めない唯一神です。
“森の神ヘビ”は“火と嵐の神バール”によって殺されました。“バール”も“唯一神ヤハウェ”によって殺害されます。
ヘブライ人の間で信仰された天候神ヤハウェが、その後天にのみ唯一神を認めるユダヤ教キリスト教となります。
ユダヤ教徒は、バール神と闘い、ヤハウェの唯一信仰を強固に確立するためには、多神教のシンボルである蛇を邪悪の象徴に仕立て上げなければならなかった。旧約聖書エデンの園の物語はそれまであった多神教を攻撃する物語なのである。それ故、蛇はキリスト教の中ではずる賢い悪魔とされる運命をになうことになってしまったのである。(安田)」
ユダヤ教キリスト教にはアニミズムの要素がなく、自然との融和的発想もありません。
十戒」は“神と人との契約”“人と人との契約”が重要であり“自然と人との契約”については書かれていません。
キリスト教の布教の裏に、多くの動物の滅亡があり、異教徒の迫害があり、文明の代償としての、森の滅亡と砂漠化の進行がありました。
キリスト教は自然への畏敬の念を邪悪な気持ちと見なし、人間中心主義を強力に推進しました。
近代ヨーロッパ文明(近代合理主義)の開幕とともに蛇の霊力は完全に断たれました。それ以来、ヨーロッパの森はことごとく破壊されつくしました。
十字架こそ蛇に代表されるアニミズム追放のシンボルだったのです。
----------------------------------
それでは日本はどうでしょうか? 
「縄文」に発する日本の宗教観・自然観は今に至るまで色濃く「蛇信仰」を保持し続けています。
 日本人も原生林を破壊しました。
しかし、その後に成立する二次林の資源に強く依存した農耕社会を作り上げました。
雑木林の二次林が生育する山を里山といいます。
落ち葉は肥料になります。薪や農耕具を作る木材も里山で得ることができます。
里山で採れる茸や山菜は大切な食糧源でした。里山は水源涵養林の役割も果たしました。そしてなによりも里山は野生動物の生息地でした。
里山を核とする日本の農耕社会は、動物との共存の世界を実現しました。
しかし、このような自然との関わりを保っていた日本人でしたが、動物たちの霊力を敬う心を急速に失い始める時がやってきます。
そのきっかけは明治維新であり、さらに決定的にしたのは高度経済成長です。それは里山の荒廃と軌を一にしています。
金銭欲と物質欲のとどめようのない増幅作用の中で、動物たちの霊力を思い返すゆとりなどない生活を現在の私たちは送っています。
 
 先進7カ国の中で唯一日本のみが非キリスト教文明圏に属しています。しかも「蛇信仰」まで温存させています。
日本の人類史的意味はここにあるのではないでしょうか。

安田先生の「蛇と十字架」に先行して下記の文献があります。
全て比較文明論です。
和辻哲郎著「風土 人間学的考察」(岩波書店1935年)
梅棹忠夫著「文明の生態史観序説」(中央公論1957年)
栗原籐七郎著「東洋の米・西洋の小麦」(東洋経済新報社1964年)
梅原猛著「美と宗教の発見」(筑摩書房1967年)
筑波常二著「米食と肉食の文明」(NHKブックス1969年)
鈴木秀夫著「超越者と風土」(大明堂1976年)
鈴木秀夫著「森林の思考・砂漠の思考」(NHKブックス1978年)
安田善憲著「大地母神の時代」(角川選書1991年)

世界では、森・自然の神であった蛇信仰は完全に絶たれていました。
ヨーロッパの森もキリスト教布教とともに破壊されつくしました。
一方で今も色濃く「蛇信仰」を保持し続けている日本。
蛇信仰と日本の宗教観・自然観があれば、日本は自然と共存する社会を保持し続けられるのではないでしょうか^^
次回は、日本蛇信仰のもうひとつの可能性についてお話します。
新春企画、お楽しみに