マヤ・アンデス2大文明の伝え(最終回)~人類史の普遍構造は未来へ繋ぐ

へ繋ぐ

このシリーズもいよいよ最終回になります。
アンデス、マヤは近年注目され、マチュピチュや古代マヤ遺跡の壮厳な遺跡に多くの人々が関心を示しています。これはそれらの遺跡や歴史が現代文明から見て理解が及ばないという点で曳き付けられているだけではなく、実際には、これらの石塊がなにか私たちに語りかけている、人類史の本質のようなものがあるように思うのです。今回のテーマは潜在思念上に沸き起こるそれらの疑問を拾い上げ、その正体は何かを追求してみようと思いました。
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マチュピチュの石の遺跡~こちらからお借りしました。
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マヤのピラミッド~こちらからお借りしました。
当初プロローグで掲げた思いを振り返ってみます。
マヤ、アンデスに生まれた2大文明は戦争こそあれ最後まで完全な私権社会とはならず、国家や王が民から祀り上げられ、また民の労働や共認によってそれらが維持され、4大文明とは異なる価値観、統合軸で作られてきたように思われるのです。
「アンデス・マヤ2大文明の“伝え”~プロローグ」
過去8回の記事を踏まえ、この2大文明を俯瞰し、現代へ繋がる警鐘を探っていきたいと思います。また両文明が明らかに4大文明と異なっている事は見てきましたが、それが何を示しているのか、本来の先進文明とは何か、改めて私たちが立ち戻るべき原点は何かについて最後に考察していければと思います。

アンデス、マヤは事実追求と役割充足の両輪によって文明が形成された
アンデス、マヤは紀元前2000年~3000年というほぼ同時代に誕生し、共に前1000年から前0年ごろまでの古典期に大規模な神殿が作られ繁栄しています。
前回の記事で明らかにしましたが、この古典期の繁栄とは自然の摂理を究極まで追求した賜物によってもたらされたのです。マヤ、アンデスの巨大神殿は自然の摂理の象形化でした。また両文明で等しく高度化された天文学や時間観念は神殿同様に人々の知の結晶物として紡ぎだされました。
マヤではそれを集団間の競争によって高めあい、評価競争をする事で集団自我を制御、戦争を回避しました。アンデスでは神殿そのものが土器や農業に先んじて作られており、超集団を統合する意図が神殿作りや神殿そのものにあった事が明らになりました。
「アンデスは事実認識に基づく超集団統合を実現していた」
一方、マヤの神殿作りは農耕の傍らで人々が参加して作られ、労働ではなく創作の一部として「楽しんで」事にあたる活動でした。巨大な神殿が各都市に形成されたのは、皆の参加充足、創造充足を基盤にしていたのです。また、アンデスではカッターの刃も入らないほど精緻に積み上げられた石積みや手の込んだ民族衣装など、その労働観は時間を押しまず、根気よく皆に役に立つ物を作りだす活動それ自体でした。
アンデス最後の国家となったインカではまさにその価値軸を国家の統合軸にしており、税を労働で支払う「労働税」なるものが登場しました。
つまり、マヤもアンデスも皆が役割を全うし、充足する事で秩序が維持できたのです。
「労働を充足源とすることで秩序を生み出した」 「マヤ盛隆の原動力は人々の評価共認にある」
これら、事実追求と役割充足は地域の統合の両輪として駆動しており、これがあることで超集団=都市文明を形成し、侵略戦争を引き起こさずに秩序を維持する事ができたのです。
4大文明との大きな違い
このシリーズで気がついたのはアンデス、マヤの文明観だけではありません。実は4大文明と比較してみると根本的な違いに気が付きました。
現在の文明に繋がることになった4大文明の発祥、メソポタミア文明アンデス・マヤ同様に乾燥地の中のわずかな湿地帯に誕生しますが、そこでは遊牧民が農耕民を襲い、食料を略奪する戦争が始まります。
それが玉突きとなり、勝ち抜いた集団が最初の都市国家を形成しました。
その国家は、一握りの支配者と市民、ほとんどは多くの奴隷で構成されます。これが私権社会と言われる最初の国家の形態でした。奴隷はいつ反乱するかわからないので、圧倒的な序列社会を形成し、現実を直視させないあの世の充足=宗教を利用する事で社会を何とか取り繕います。また効率重視、経済重視の社会は労働の価値や本来の充足を阻害し、「労働=苦役」という価値観を早くから形成されていきます。
さらにはそれらの事実追求の拠り所=科学技術とて為政者の都合の為に使われ凡そ、万人に必要な普遍事実を追求しておらず、ひたすら経済性と効率に邁進し、本来の追求する対象物であった自然の摂理は悉く捨象されてしまいました。
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ローマの戦争こちらからお借りしました。   ユダの奴隷壁画
☆考えてみれば、これら4大文明=私権社会とアンデス・マヤの社会原理とは180度逆転している事に気が付きます。

アンデスは自然の摂理に立脚し、自然の枠の中で生きてきた。最大の価値は未明な自然現象を解明し皆で共認する事でした。そして人々は労働や事実追求を充足価値として生活を営んでいったのです。

一方、4大文明は自然に対峙し、自然を征服する事を課題化しました。優れた価値は自然をコントロールし、大衆をコントロールする事です。その中で人々は労働を苦役とし、現実を変えられない架空の世界である宗教(現代では恋愛や自由といった近代思想)を唯一の充足価値として信奉しました。その結果、人々は事実追求に向かわずひたすら己の私権獲得に邁進したのです。

アンデス・マヤは人類史の普遍ではないか
ここで気がついた事があります。
アンデス、マヤ同様の文明構造は世界中にたくさんあるのではないか?」
実は私たち日本もまたアンデス・マヤ同様に西洋文明史観からは異端視され、不自由で窮屈な国だとレッテルを貼られてきました。自然に恵まれ、どの国より安全で優しい国が西洋文明と異なる価値観というだけで遅れた国、辺境の国と言われ、私たちも思わされてきました。しかし日本人の価値観は砂漠の文化という点を除けば極めてアンデス・マヤのそれと近似しており、同根であることがわかります。
同様にアボリジニ族がいるオーストラリアはどうでしょう。チベットブータンも同様です。さらに西洋にしても北欧のフィンランドには自然に同化する中で息づいた文化が残っています。
共通項はいずれも辺境の地である事です。
「西洋が文明の中心で辺境の文明が遅れている」
この認識によって作り出された歴史史観は、逆転して見る必要があるのではないでしょうか?つまり、西洋文明に染まっていない地域こそ人類の次代の可能性であり、西洋的歴史史観が作り出した分析や史実は偽者であるという事を深く認識しておく必要がある事です。
この認識から考え直せば、西洋が作り出した私権社会(西洋、中国、アメリカに代表)は人類史において異端であり、アンデス、マヤを含めた周辺地域こそが普遍構造であると見えてこないでしょうか?

アンデス・マヤの教訓を未来に繋ぐ
4大文明=私権社会は、自らが作り出した過密都市や近代科学により何倍にも拡大してしまった環境外圧に直面しており、その当然の帰結として統合不全に陥り、滅亡の危機に瀕しています。つまり、私権社会は永続的な文明ではなかったのです。
現代、明らかに文明や社会の根幹について認識転換を求められています。
人類史500万年の史実に思いを馳せ、自然の摂理に則り、自然のサイクルやしくみ、私権時代を経てほとんど進まなかった本源的な科学を追求し、その知の結晶を作り出すことが求められているように思います。それが、現代バラバラで国家間が戦争圧力でしか統合できない息苦しい末期的私権社会を突破する切り口となるはずです。
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億を超えてしまった超集団を活力を持って統合するのは、事実追求とそこで生まれた最先端の認識、そしてそれを支える評価空間という共認充足です。
貧困が消滅し、これまでの統合限界が訪れた現代、アンデス、マヤの社会でかつて原型となっていた共認社会は広く世界に求められ、そして実現していく事が可能な時代になってきたのではないでしょうか。