自考力の源流を歴史に学ぶ2~西岡常一氏より「自然の論理(摂理)を使って考える」

自考力の源流を歴史に学ぶ2~西岡常一氏より「自然の論理(摂理)を使って考える」

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 今回から「職人の世界より自考力を学ぶ」というテーマがスタートします。
初回は最後の宮大工の棟梁として知られ、法隆寺法輪寺の改修など数々大仕事を成し遂げた 西岡常一さんに焦点をあて、彼の言葉や仕事の中から自考力に繋がるヒントを探していきたいと思います。
「正しい事は一つしかない」
西岡常一氏の言葉でとても印象的なのが「正しい事は一つしかない」という言葉です。
著書「口伝の重み」より西岡氏の息子さんである賢二のインタビュー記事より引用します。
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(西岡氏は)正しいことは一つしかないんやということです。「正しいという字を見てみよ、一つに止まると書くやろ」と。生涯そういう基本的な考えはおそらく変わってません。「あれもいい」、「これもいい」ちゅうことは絶対ない。そのかわり、ああやこうやという話をしながら、こうやと言うたら絶対に変わりません。
頭脳と知識と思想も含めて核心を、誰が何と言おうとこれにまさる論理はないんだというものをちゃんと押さえてからモノを言え、と私もよう言われました
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例えば学校の試験問題は答えは一つしかありません。しかしこれは人工的に作られた特殊な条件の話です。現実は、様々な条件が複合的に絡み合い、答えは何通りか見つけ出す事ができます。
ところが西岡氏は試験などという特殊な世界の話だけでなく、現実の課題を突破する答えすらも一つしかないと言っているのです。
答えは一つしかないというところまで追求しきる。
仕事というものはそのくらいの覚悟と追求姿勢が無くてはできない。
そしてどれくらい自ら考えたらいいのかについては、あらゆる事を考えつくして、自ずと答えにたどりつくまでという事です。
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「答えは自然の摂理の中にある」
この「正しい事は一つしかない」という言葉は、別の見方をすれば、「答えは自然の摂理の中にある」という事なのかもしれません。
象徴的なエピソードを紹介します。
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「木は生育の方位のままに使え」
木には陽おもてと陽裏がある。南側が陽おもてで、木は南東に向かって枝を伸ばすから節が多く、木目は粗い。陽うらの方が木目はきれいに見える。
切ったあとも木の性質は残る。日光に慣れていない陽うらを南にして柱に据えたりすれば乾燥しやすく、風化の速度ははやくなる。太陽にいわば訓練されている部分を、陽のさす方向におく。陽おもての方が木はかたい。四つ割りにした柱も、南東側を柱に、北西側を軸部や造作材にと振り分ける。
こうした配慮が堂塔の隅から隅まで行き届いていた。これが木の生命を延ばす重要な技法でもあった。
さらに山の頂上、中腹、斜面、南か北か、風の強弱、密林か疎林かで木の性質は異なる。そうした木の性も考慮に入れてみごとに使いわけた。
口伝でいう「木は生育のままに使え」の通りだった。
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あらゆる生物は自然環境に適応すべく進化してきており、生を受けてからも適応すべく成長しています。もちろん木においても同じ事がいえます。
西岡氏は建物も同じように自然環境への一つの適応態として捉えています。建物を作っている木材一つ一つも成長過程で適応してきたものをそのまま活かそうとしています。
こういった事は建物を構成する木が、どのような成長過程をとり、どのように適応しようとしてきたかを熟知していなければ到底できる事ではありません。
まさに自然への同化無くしては、千年以上も存続する建物は作れないのです。
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木への同化は土を識る事から
西岡氏自身はどのようにしてこのような思考を身に着けたのでしょう?
西岡氏は小学校卒業後、宮大工を目指す為に工業学校に行くのではなく、農業学校に行きました。その背景には宮大工の棟梁であった西岡氏の祖父の教育哲学があったのです。
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六年生になって小学校の卒業が近づいたころ、私(西岡常一)の進路をめぐって父と祖父の意見が対立した。父は私を工業学校へ進ませようとしたのだが、祖父は農学校へ行けと主張したのである。
中略
祖父の主張も強い信念に基づいていた。「人間も木も草も、みんな土から育つんや。宮大工はまず土のことを学んで、土をよく知らんといかん。土を知ってはじめてそこから育った木の事がわかるのや」。
中略
大正十三年、、生駒農学校を卒業した私に、祖父は大工をさせるどころか、「三年間学んだことを実際にやってみい」と命じた。農業をやるのである。
収穫が終わって、祖父に報告すると、ねぎらってもくれない。「おかしい」という。私の収穫量は三石だった。普通の農民なら一反で三石五斗は穫る、一反半なら四石五斗なければならない、というのである。
中略
「おまえは、稲を作りながら、稲と会話をせずに、本と話し合いをしていた。稲と話し合いできる者なら、窒素、リン酸は知らなくても、今、水をほしがっとるんか、今こういう肥料をほしがとるちゅうことが分かるんや・・・これからいよいよ大工をするんやが・・・木と話し合いができないんだら本当の大工にはなれんぞ」
木と話す。
そのことを体得させるために祖父はわざわざ、私に農業の修行をさせたのだった。
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宮大工を目指す西岡氏に対し、祖父のとった方針は、なんと農学校へ行かせる事でした。そしてその学校生活を通して、西岡氏は土や木と対話していく事を学んでいったのです。
建物を作る知識を学ぶ前に、そもそも自然の摂理を識る事、そして自然に対して同化していく事(声を聞く)事がなによりも重要で、それ無しには建物は建てられないというのが西岡氏の祖父の考えでした。

徹底して生物の適応原理を識る。これが最も重要だという事を西岡氏の祖父は知っていたのだと思います。なんという思慮深さでしょう。
西岡氏の仕事は自然との対話に留まらず、寺を復元する際、建物を徹底的に調べ尽くし、今は亡き先人達との対話も行います。木組みがどのようになっているのか?どのような手順、当時どのような足場が作られたのか? それを釘1本の角度からどのような体制で当時職人が釘を打っていったかを想像し、建物を復元していきます。
このように、西岡氏は
 ①徹底した緻密な調査をし尽くし
⇒②調査結果を元に自然の摂理と照し合わせ
⇒③その中で整合の取れた論理を導き出す
  
  
という過程を一貫してとっている事がわかります。そして徹底してこれを行う事によって、「正しい事は1つしかない」とまで言い切れるのです。
さて、今回のテーマは西岡氏より「職人の世界より自考力を学ぶ」です。
西岡氏は祖父のすすめから学生時代に、あらゆるものは外圧に適応すべく存在し、その適応方法はどうなっているのかという「自然の摂理」を習得していきました。
そして仕事をする上で徹底した緻密な調査を通して先人の思考に同化し、そこで生まれた「仮説」と「自然の摂理」を照らし合わせる事で、そこに流れる論理を見つけていくのです。

けして自らが都合よく見つけ出した論理ではなく、徹底した対象への同化から論理を見つけていく。職人の謙虚な姿勢と迫力を感じずにはおれません。
西岡常一さんの仕事、みなさんはどのように感じられましたでしょうか?
※当ブログの画像はこちらのサイトよりお借りしました⇒http://blogs.yahoo.co.jp/kasiwazima12/30438881.html