仏教に未知収束の志を見る~第5回 チベット仏教に見る釈迦の志

仏教に未知収束の志を見る~第5回 チベット仏教に見る釈迦の志

こんにちは、みなさん。

昨今仏教がブームなのだそうです。なんでもアメリカのエグゼクティブを皮切りに、ビジネスマンたちに、“瞑想”が広がっているのだそう。

さて、本日取り上げるチベット仏教も、そうした潮流の中、注目を浴びてきています。かつても注目を浴びた時があったのですが、その時は『死者の書』(1993年)という鳥葬などを取り上げた書籍がきっかけだったこともあり、チベット密教、神秘的な側面ばかりが注目されていたのに比べて、今回はより本質に近い部分が注目されているようです。

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不整合感が高まるこの現代において人々がチベット仏教に惹かれる理由は、一体何なのでしょうか?今なぜチベット仏教が世界から注目されているのか?それをひも解きながら、さらに仏教の追求を進めていきたいと思います。 

チベット仏教とは?

仏教は大きく、中国や日本に伝わった大乗仏教スリランカミャンマーに伝わった小乗仏教、そして今回取り上げるチベット仏教の3派に分けられます。他二つと比べた際のチベット仏教の特徴は、大きくは以下の2点に絞られるでしょう。

1.チベット仏教は、インド仏教の流れを直接受け継いでいる。
サンスクリットの原典を正確に翻訳し、思想哲学や実践修行の面でも、インド仏教の伝統を忠実に踏襲しています。

例えば、中国人は訳者の判断で、大幅に意訳したり、順番を並びかえたり、ひどいのになると原典に書いてないことを付加したりするので、仏教研究者の間でも漢語訳は信用ならないと言われているそうですが、チベット人は“国家的事業”として原典を本当に忠実に訳しており、原典が喪われてしまっている場合など、大いに研究者を助けているのだそうです。

サンスクリット語印欧語族に属し、チベット語とはまったく言語の系統が異なるから、「忠実に訳す」と言っても、大変です。チベット語は日本語と同じく膠着語で、「てにをは」に相当する助詞があって文章が形成されるから、英語をドイツ語に訳すのとは、わけが違うのです。それでもチベット人はこの困難な訳業を何代もかけてやり遂げました。

2.チベット仏教は、明快な論理による哲学的思考が重要視されている。
僧侶たちは僧侶同士の問答を通じて仏教哲学を学習します。釈尊は弟子たちに、自ら良く考えて教えの中味を吟味し、その後ではじめて教えを信奉するように説いていますが、チベット仏教では、釈尊のこうした戒めを肝に銘じ、盲信や実践至上主義を排し、明快な論理による志向を重視しています。 

では、チベット仏教のこのような特徴はどのようにして生れたのでしょうか?まずはチベットの置かれた外圧をみてみます。

 
厳しい自然外圧ゆえの、徹底した自然への同化

チベットは現在の中国の西蔵自治区だけでなく、ブータンや中国西部を含む広い地域を指します。

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  チベットの自然は、広く、高く、そして厳しい。チベット高原はじつに122万k㎡に及ぶ地域(日本の4.5倍の広さ)であり、平均高度は東部で3000m、西部では5000m以上、地球上で最も広大な高原です。ですので緯度は九州より南に位置していますが、南国イメージはまったくなく、乾燥、寒冷地帯で、大変に厳しい住環境です。自然に同化することでかろうじて、人間が生きることができた地域と言えるでしょう。

そのような環境下でしたので、自然への同化を基盤とした精霊信仰(ボン教が、仏教伝来以前から、土着信仰としてありました。

チベットの人々には天・地・川・火・草・木・石といった自然を祀る習慣がある。日本の神道のようにあらゆる物に神が宿っているという思想があるからだ。これは仏教の教えではなくボン教の影響だと思われる。そして家によってはこれらの神の絵が家の部分部分に飾られたりしている。ここで面白いことは、その神々の絵が布などで隠されている場合があることだ。これは、例えば火の神様の絵と水の神様の絵が近くにある場合、この二つの神様が喧嘩しないようになどどいう配慮からだそうで、あの神様はこの神様に弱いとか、まるで人間関係のようなものがそこには存在していて、人々もそれに自然に配慮していることから、いかにこのような自然崇拝がチベットの人々に親しまれているかがわかると思った。こちらより引用させていただきました。)

 このように自然と人間が一体化するという感覚が土壌にあり、徹底して自然を注視した(対象化した)のが、チベットだったのです。仏教導入以前から、薬草を中心としたチベット医学はすでに発達していました。

 

 仏教伝来の歴史

いよいよこのようなチベットの地に、インド仏教が伝播してきます。

チベットは歴史的には2,3世紀ごろから中国の年代記に「吐蕃」という名称で登場してきますが、六世紀末には領土をチベット西部や青海湖周辺地域にまで広げ、広大なチベット王朝を築きます。この領土拡大⇒統一という私権国家体制構築期と時を同じくして仏教は取り入れられ、8世紀には国教となります。国王自らが宗教主となり、僧や僧院に特権を与えたために仏教は隆盛しましたが、領土が拡大しすぎたことによる統合不全や王室の跡継ぎ騒動などでチベット王朝が混乱すると、仏教もまた衰退していきました。

 この混乱は1世紀ほど続きましたが、やがて秩序が取り戻される中で興味深い動きが起こります。それは修行者たちが共同体を形成し、在俗の庇護者の支援を受けて僧院を建設し、しだいに地方領主の瞑想を指導するようになってきたのです。これにより各宗派は既に得ていた宗教的・経済的な力に加え、政治的にも大きな役割を果たすようになって行きます。

 ここにチベット仏教の特性があると思われます。

チベット仏教は当初王権主導のもと国家体制の確立のために積極的に導入されましたが、早々に国家自体が行き詰まり、国の秩序が崩壊してしまいます。他の多くの大乗仏教を取り入れた国家が、仏教の持つ「信じるものは救われる」「あの世で救われる」といった現実逃避観念を利用して国を統合しようとしたのに対し、一度私権国家の崩壊を経験したチベットは、国を再建する(秩序化する)ために、前回とはまったく違う形で仏教を受容し、展開していったのです。それは、仏教を基礎とする学問を中心とした、実学に根ざした国家体制でした。

 では、学問としてのチベット仏教とは、具体的にどのようなものだったのでしょうか?

 

 学問としてのチベット仏教

チベット仏教というと、一般に曼茶羅や父母仏に代表される神秘的な密教が連想されがちですが、チベットの僧侶、とくにダライラマ政権を樹立したチベット仏教最大宗派のゲルク派は、顕教の学習に非常な力を入れています。総じてチベットの僧院は、初歩的な読み書きから高度な仏教哲学まで教える総合教育機関の役割をはたしています

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インド以来の仏教の伝統に、「五明」という学問の枠組みがありますが、これは菩薩が修行を重ねて最終的に一切智者のレヴェルに達するまでに修めるべき五つの学問分野で、一般につぎの五つがあげられます。

工巧明:工芸、美術、天文暦学。
医方明:薬学、医学。
声明:文法学、言語学
因明:論理学。
内明:仏教学。 

五明のうち始めの四つは世俗の学問であり、にもかかわらずその学習が重視されたのは、「菩薩はある時は医術により人々を益して導く」「ある時は仏師絵師であり仏像を彫ったり仏画を画いたりして人々を導く」「ある時は異国の人や方言を話す人に不自由なく説法するために文法学や言語学に通じていなければならない」「ある時は異教徒を論破して仏教に改宗させるためには論理学にも通じていなければならない」という理由によります。  

チベットでは古代から中世にかけて仏教を受け容れそれが定着していきますが、その理由は、チベット人がこうした「仏教のもつ文化としての総合性」に関心をもったからではないでしょうか。
チベット周辺の諸民族やモンゴル人がチベット仏教を採用したのも、それの宗教性もしくは神秘性に惹かれたというばかりでなく、むしろその文化的総合性をもって蒙昧な民衆を教化してゆくことを目的としたからだと思われます。

 

チベットの民は仏教の持つ追求の志を引き継いだ

チベット仏教の流れをこれまで見てきましたが、12世紀頃を境に国内での仏教の位置づけが大きく変化している事に気がつきます。7世紀に取り入れたのは中国や日本と同様に大乗仏教で、国が仏教を利用して国威を高めるものでした。一方で13世紀以降は反転して小乗仏教も取り入れ、仏教の本質である論理性を重んじ(大乗仏教とも小乗仏教とも密教とも論理矛盾しない論理を追求し)、学問としての仏教に傾注します。それはチベットが私権社会に突入して国が混乱し、そこからの反省、解決策として仏教を取り入れたことと関係しているように思われます

実際13世紀以降のチベットは中国やモンゴルといった周辺諸国との関係において仏教を用いて国境を越えて教義を伝え、大国からの庇護を得ています。当時、まだ武力が制覇力になっていた時代に認識を使って国際関係を統制していた事は注目すべき点です。

これら私権社会を早期に見切り、舵取りができたのはチベットの地勢にも関係があるのかもしれません。
自然外圧が高く、山で隣接国と隔たりを持つチベットは言語や人種も含めて日本と近似している部分が多くあります。釈迦はインドに登場した私権社会を前に、現実を否定せずにひたすら探求し、世界観を掴む事を示しました。釈迦は教えの中身そのものより、追求する姿勢を重んじたのです。

元来、本源性が高く自然の摂理を注視する民族であったチベットの民は仏教の持つ追求の志をどこよりも正しく、そのまま受け継いだのではないでしょうか。