日本人は南から来た?~沖縄で旧石器時代の人骨発掘/国内最古のDNA抽出に成功

日本人は南から来た?~沖縄で旧石器時代の人骨発掘/国内最古のDNA抽出に成功

 

110501feature3_2

新石垣空港の真横で発掘が進む白保竿根田原遺跡

画像はこちらからお借りました。

 

昨年末の最終記事では、「立ち上がれ日本人!」と題し、混迷する日本を立て直すため、改めて日本人の可能性について1年間の記事を振り返りました。

さて、新年第二弾は、日本人を知るという流れで、我々日本人のルーツについて興味深い記事を紹介したいと思います。

なんと、沖縄で2万年以上も前の旧石器時代の人骨が大量に発見され、しかもDNAの抽出の成功~その解析によって日本人の先祖がどこから来たのか?についての重要な事実が明らかになりつつあります。 

まずはるいネットより引用します。

 

沖縄で大量に旧石器時代の大量の人骨が発掘。国内最古のDNAの抽出に成功

沖縄で旧石器時代の人骨が大量に発見されている。現在までに既に24体が発掘。旧石器時代の遺跡としてはアジアでも最大とされる。
場所は沖縄県石垣島石垣市)の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡。
そのうち最も古いものは2万4千~2万6千年前の人骨(放射性炭素年代による)。2万年前の女性の人骨からはDNAを抽出することにも成功した。古代人のDNAとしては国内最古で、旧石器時代では初。DNAパターンも判明し、日本人の祖先が南方から来たとする説を考える上で貴重な成果となった。

古い人骨のDNAはこれまで、縄文時代早期(約8000年前)以降の関東や東北、北海道、弥生時代では北部九州と奈良県などの遺跡の人骨から抽出・分析されているが、旧石器時代はなかった。

4点のうち2点は「M7a」と呼ばれるDNAタイプで、ほぼ日本列島固有。現代の本土の日本人では約7%が持つが、沖縄の人々では約25%と突出する。M7aは本土の縄文時代の人骨からも確認され、M7aと共通の祖先を持つタイプ(M7b、M7c)は中国大陸南部や東南アジアを中心に分布しており、今回の人骨の主は、東南アジアなど南方から北上してきた人類とみられる。またオーストラリアのアポジリニやニューギニア人との共通性も見られる。
リンク
リンク

琉球新報平成22_2_5k金)

2万年前と推定される頭頂骨の化石

画像はこちらからお借りしました。

 

例えば、日本語とポリネシア語は、母音を言語野のある左脳で聴くという他の言語では見られない稀な共通性を有することが分かっており、日本人の先祖が南方から来たことを想起させますが、今回のDNA解析の結果もこうした南方由来説を裏付けるものとなりそうです。(参考:「日本人の脳は自然の音も言葉として捉えることができる。母音主義がもたらした表現の豊かさ」

このDNA解析は、世界各地の様々な地域集団のミトコンドリアDNAを分析することで、DNA配列の似た者同士をまとめグループ化する手法によるもので、現日本人のグループ構成は以下のようになっています。

以下、「生命科学DOKIDOKI研究室」より

 

img05

「日本人にもっとも多いハプログループは、D4、D5のDグループで、約4割を占めています。このグループは、中央アジア、東アジアで優勢で、朝鮮半島中国東北部でもこの二つが人口の3~4割を占めています。
ハプログループBは、日本人の7人に一人が該当する第二集団。およそ4万年ほど前に中国の南部で発生したと推定され、東アジア沿岸から北上する過程で日本に上陸したものと思われ、その後南太平洋から南米までも拡散しています。
また、4万年以上前に誕生したハプログループM7は、2万5000年前に枝分かれしたa、b、cの3つのサブグループがあり、M7aは琉球列島を通って日本に入ってきたと考えられ、本土では約7.5%ですが、沖縄では4人に一人がこのグループです
ハプログループN9は、北方から日本に入ってきたグループ。中東から北方に進み、ヒマラヤの北を通って東アジアへ来たと推定されている。
わずか0.46%しかいないCグループは、中央アジアから新大陸まで広がっているグループで、中央アジア一帯の草原地帯に起源があったと見られ、遊牧騎馬民族国家の元などが大帝国を築いたときに、大きく範囲を広げたと思われるという。

と、日本人は中央アジアをはじめ、様々な地域から入ってきた人々により構成されていますが、今回の発見は、2万5000年前に枝分かれしたM7aグループが琉球列島を介して日本に渡来し、日本人の基層を形成している可能性を示しています。

沖縄で大量に旧石器時代の大量の人骨が発掘。国内最古のDNAの抽出に成功 より引き続き引用します。

また人骨の分析によれば、大腿骨の付け根が著しく損傷(おそらく高所から落下した可能性が高い)しながら長期にわたって生き延びていた形跡があり、それは集団の扶助によるものと見られ、高度な社会性が存在したことが伺える。

t02200132_0280016812754081944

t02200132_0280016812754081946

画像はこちらからお借りしました。

これも注目すべきポイントで、狩猟採集生活においてまともに歩けないほどの怪我は、生きる上でかなりのハンディとなったはずですが、集団内において何らかの役割を与えられ、他のメンバーに支えられることによって生き延びることができた・・・旧石器時代人はしっかりとした集団=共同体を形成しており、それが後の縄文に受け継がれたのではないかと思われます。