縄文体質とは何か?第4回 縄文の”性”を知る

縄文体質とは何か?第4回 縄文の”性”を知る

第4回は”性”について触れてみます。
私有婚、一対婚に始まる「女は所有物」とした西洋の性への捉え方と総偶婚をベースにする「女は集団内での充足存在」とした日本の性は180度異なっています。
まとめを書くより先に過去の投稿群の中の言葉から縄文の性、日本人の性意識に係わるものを紹介してそれを感じとってもらいたい。

m282.gif土偶に示されるように女性中心の文明原理に立脚していた。古代文明の多くは多かれ少れかれ母権性的であるが、とりわけ縄文時代においては、女性中心の文明原理が大きな役割を果たしたとみなされる。~
縄文時代の婚姻様式は総遇婚、近接集団との交差婚であり、集団婚であった。その後弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚という形態にはなったが、ついぞ江戸時代までは女は母集団の中に残り、集団の共認充足に包まれた中で集団と女達は一生暮らすことができた。諸外国を見渡しても婚姻形態がこれほど近代まで残った国も稀有だし、一対婚がこれほど根付かなかった国もない。その意味で縄文が最も色濃く残ったのが婚姻であり、男と女であり、性充足である。それほど、日本人は性におおらかで性を心から楽しんでいた。リンク

m282.gif『元始、女性は実に太陽であった。』
平塚雷鳥により、1911年に婦人文芸誌「青鞜」創刊の辞に記された有名な文言である。
この一文は、そして平塚雷鳥は近代の女性運動の象徴としてしばしば取り上げられる。
しかし、この初期の女性運動は、男女同権を求めるものでも、女性の権利を主張するものでもなかった。
私権時代に抑圧されてきた女としての役割を、社会においてまっとうに果たしたいという思いが根底にあった。リンク

m282.gif縄文時代の女性の充足力について4つにまとめてみます。
1.極限時代の男女の性充足をそのまま引き継いだ。~集団の中で男たちは女性を敬い、大切な存在として扱った。それが男女期待応望を軸とした女性の充足力の源になる。
2.採集生産=人類史において初めて登場した女性の生産の役割~だからよく働いた(働くこと=充足)
3.定住化を果たすことで女性集団が安定し、母系集団がより強固に形成された。女性の充足力とはこの集団の結束力でもあり、そこで育まれた共認充足である。
4.女性の豊かな自然への同化能力はそのまま採取生産の豊かな食資源の獲得に繋がった。リンク

m282.gif「女性が性の充足を求めることがみんなに認められ、喜ばれている」
というみんなの意識のありようがすごくありがたいなぁということです。
現代は性って特に女性にとっては秘め事になりがち。
集団の中でみんなにオープンにするなんて考えられないこと。
でも、それが100年も遡らない時代に、女性から性充足を求め、そしてそれが喜ばれる状況があった、ということをありのままに教えてくれる赤松さんの記録はとても勇気付けられます。リンク

m282.gif>自分だけが充足する女」じゃなくて、「みんなを充足させることで自分も充足する女」って、本当にいい女!
まず「自分」じゃなくてまず「みんな」。
でも、みんなが充足してくれることで自分も充足できる、結局その集団みんなが充足できる。
本当に集団に根ざしてこそ、女は充足存在になれるんだ。リンク

m282.gif徳川時代の女性は現実は意外にも自由奔放で地位も確立されており男性に対しても驚くほど平等かつ自主的であった。江戸時代における性は男女の和合を保証するよきもの朗らかなものであり従って恥じるに及ばないもの、男女の営みはこの世で1番の楽しみと同時におおらかな笑いを誘うものだった。
当時の日本人にとっての性意識はことさら意識的である必要のないほどあっけらかんと明るくのどかな解放感で満ち溢れていた。
それくらいだから遊女や売春を幕府が保護して社会もまたそれを恥と思っていなかったのも納得できる。幕府は遊郭に対して保護と監督を行い身売りされる当人や家族も嬉々として献身し身分の高い人が客をもてなす社交の場でもあった。リンク

m282.gif 1対1で教えるのではなく、「女たち」が「若者たち」を指導する、という形をとっていること。つまり私事ではなく、ムラの公式行事=公事であったことです。性は個人的な事柄でも秘め事でもなんでもないんですね。(実は平安時代の貴族社会にも「ソイブシ」と呼ばれる年上女性による性のてほどきの風習があったのですが、こちらは私事で、「オコモリ」とは全く違うを考えたほうがよい)
また単なるセックスのてほどきではなく、女たちが若衆に話して聞かせた内容などから察するに、立派な「性教育」といえる非常に内容の濃いものであったといえますリンク

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性とは秘めるものではなく開くもの、おおらかなもの
集団にとってなくてはならないもの
性は教育であり楽しみであり、いわば生きる事=活力そのもの
性も女性も集団に全て包含され、なくてはならないものとして工夫し追求しつくしたのが縄文社会であり、ついこの間まで続いたその後の日本の社会だった。
明治時代に『元始、女性は実に太陽であった。』と打ち出した平塚らいてふの言葉は、太陽としての女たちが翳ってき始めた事を象徴している。
縄文体質とは何か?性や女たちへの圧倒的な肯定性の再生なんだと思います。

 そして本源の性を語る上で、言葉は無力です。
感じる事、相手を思う事、そのDNAに刻印された心の部分で本質を受け取る事だと思います。