縄文体質とは何か?第5回 縄文の働き方は自然との共生

縄文体質とは何か?第5回 縄文の働き方は自然との共生

日本人はよく働きます。 しかし、いやな上司の言うことを聞かなきゃいけないし、重労働もあれば長時間労働もあり、働くことも、なかなかの苦労があるものです。もっと楽しく仕事ができたらいいなと思うのは、現代人だからで、さかのぼって縄文人はどんな思いで仕事をしていたんだろうと考えてしまいました。

第5回は縄文人「はたらく」とは何かを扱います。

縄文人の仕事は、狩猟・採集ですが、縄文時代前期には小豆や大豆の栽培が始まり、晩期には粟・黍・稲がすでに伝来していた可能性が高いといわれています。

現代とは違って、上下関係などないフラットな集団で、誰のために働くかといえば、当然みんなの役に立つことをし、強制されることなく、自らすすんで、やりたいだけやるのが、縄文人の「はたらく」だったのです。

豊かな自然の恵みに感謝しながら、自然に逆らうことなく共生して生きてきた縄文人に、現代社会は学ぶことは多いと思います。 

るいネットから記事を紹介します。

働き方改革が楽しくないのはなぜだろう2~序列のない縄文組織から学ぶ~】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=334828

なぜ「ボス」がいなくても組織が成り立つのか なぜボスがいないんですか?

共同体の真ん中に権力を置かないことで、みんなが等距離にある状態をあえてつくりだしていたと考えられます。心理学的にいうと『中空の原理』ですね。 しかし、組織的に狩りをしたり、木の実を収穫したり、工事をしたりする際に、ボス的な存在なくして、どのように協業を成り立たせていたのでしょうか?

階級が上の“ボス”ではなく、各種の協業ごとに“リーダー”的な人はいたと思います。リーダーがいなければ成し遂げられなかったような事業の痕跡も残されていますし、埋葬されていた人物の副葬品からは、例えば弓矢をそなえられた狩りのリーダーや、マダイの頭や亀の甲羅で作った装身具を持った漁の名手などが推測できます。 リーダーはいたんですね。

そう。ただ、それは弥生時代以降に見られる、特定の原料・設備・技術などを独占し、直接生産にかかわらないような“ボス”ではなかったと思います。

縄文時代には、個々の能力差、得意分野の『違い』は存在していましたが、取り分の大小が決まるような『階級』はおそらくなかったはずです。 どうしてそう思われますか?

理由はいくつかあります。たとえば集落内に、溝や塀などで区画されたり、特別な場所を占有したりする居住跡がないこと。特別な構造や規模の施設、財産を副葬した大きな墓などがないこと。みんなにほとんど差のない土坑墓が用意されていたことなどが挙げられます。 縄文時代の人類は、どうしてそのような組織を実現できたのでしょうか?

それは縄文人が、努力=物質的対価、経済的対価というような思想ではなかったからだと思います。

彼らは常に自然の摂理のなかに生きていて、自分たちは自然の恵みによって生かされているという考え方を持っていたのです。 では、富の分配はどうなっていたのでしょうか?

平等に分配されていたと思われます。考古学的証拠で言うと、シカやイノシシを獲ってきたときに、彼らはそれを解体して、パーツごとに小分けにしています。マグロも、30cm幅くらいの大きさでぶつぎりにしているんです。

収穫があったときに、組織の中で誰かがそれを独占するのではなく、自然からの賜りものを皆で分けたと理解していいでしょう。 自然からいただいたものなのだから、感謝の気持ちを持って、みんなで平等にいただこうよということですね。

彼らは自然のめぐみをもらうだけでなく、ときには栗林や里山なども育てました。食料も薬も道具も、すべて自然物を利用し、常にその恩恵にあやかっていたんです。

だからこそ、収穫は自分たちの努力だけで得られるものではないということも人間は自然摂理のなかでしか生きられないということも、当然のこととしてわかっていたんでしょう。

縄文時代には“社長”も“上司”もいない 縄文人って、誰にも雇われていないし、誰も権力のために仕事をしていないんですよ。 縄文時代には、“社長”も“上司”もいなかったんですね。フラットな関係のチームの中で、リーダー的な人はいたけれども。縄文時代の組織では、どんな風に仕事を分業していたんでしょうか?

おそらく、その集団のなかで自分ができることを自分ができる範囲でやっていたんじゃないかと思います。

たとえば漆(うるし)について詳しくて漆器を作るのが上手なら、それを誇りにして皆のためにやるという、ゆるい役割分担で。

「俺、それ詳しいからやるよ~」というような感じで、手を挙げていたのですかね。

おそらくそうだと思います。富の分配は平等だったので、たくさんの報酬がもらえるから仕事をやるのではなく、自分が得意なことをみんなのために役立てるという雰囲気があったのではないかと。精神的にレベルが高いですよね。

ちなみに、縄文時代ではひとつのムラがひとつの場所に、数百年~数千年も継続してとどまっていた形跡があります。これはその集団が精神的にものすごく安定していたから獲得できた持続性だろうと思います。 1000年も! すごいですね。

【農耕が始まったことが、人類にとっての最大の悲劇である】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=334443

8千年前の人間のほうが健康で豊かだった

人類の文明は、農耕がはじまってから進歩した。 エジプト文明メソポタミア文明インダス文明黄河文明。 世界の4大文明は、治水と灌漑をおこなうことで発展し・・・

なーんて歴史で習ったよね。

農耕を知るまでの狩猟採集生活の頃は、貧しくていつも飢餓に苦しんでいたのが、稲や小麦を育てるようになってから、人間は豊かになった。

そう思ってるよね。

実は、あれ大嘘。 というのが最新の考古学や人類学者の間では定説になってきてる。

農耕がはじまるまでのほうが、はるかに豊かだったんだって

え?って思うけど、本当。

最新技術を使った考古学の研究では、古代人の骨をレントゲンとか放射性元素とか使って詳しく調べる。 そうすると、農耕がはじまるまでの狩猟採集生活をしていた人間のほうが、明らかに健康状態や栄養状態もいいんだって。 病気もないし、平均寿命も70歳くらいだったと推定されてる。

ところが、農耕がはじまった途端に身長が低くなって、体重も減る。 体格が貧弱になって、骨をみるといっつも栄養不足、しょっちゅう飢餓にあっていることがわかる。高血圧や心臓病、伝染病といった感染症も大流行するようになって、平均寿命も一気に短くなって50歳未満。

8千年前の狩猟採集時代のサイズまで人間の体格が回復するのは、なんと現代の先進国になってようやくというからびっくり! 日本の平均寿命だって男女ともに70歳を超えるのは、昭和40年代に入ってからのこと。 日本での狩猟採集時代というと縄文時代なんだけど、その頃のほうがずっと豊かで健康的だったってことなんだよね。

衝撃・・・

いわゆる「労働」というものが登場するのは、ひとが農業を覚えてからのこと。 あとから、これについては詳しく述べるけど、

働くのがあたりまえ。 労働は美徳である。 働かざるもの食うべからず。

というのが、いまの社会の常識であり、いわゆる「普通」なのだけど、実は、そうでなかった時代がある。 というより、もっと正確に言うと、労働しなかった時代のほうが400万年にわたる人間の歴史の中では長かったんだよね。

そして、働いてないころの人類のほうが、ずっと豊かだった。 しかも平等で貧困もなければ、戦争もなく平和だった

【稲作・漁労文明と畑作・牧畜文明~稲作文明が持つ「勤勉」という文化。】http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=310746

稲作は畑作に比べてきわめて複雑な労働を必要とする。種籾を選別し、苗代を作り、田植えをして水を定期的に入れ替える。さらに田の草を取り、害虫の駆除をしてやっと獲り入れの季節をむかえることができる。きわめて複雑な重労働が要求される。生産意欲のない奴隷や農奴では米作りはできない。稲作が自然にも優しい農業である事が最近注目されてきた。稲作は水源林としての森を保存し、水田は地下水をきれいにして水の循環系を守り、生物の多様性を保存してくれる。さらに水田は周辺の気候を穏やかにさえしていることが明らかになってきた。自然に優しく、自然の生き物たちと共存していくためには、人間も重労働を果たす事が必要なのである。

これに対して麦作は、冬雨のやってくる直前に畑を耕し、種を蒔いたらあとは刈り入れまで何もする必要はない。麦は冬に生長するから雑草を取る必要もないし、害虫との闘いもない。麦作なら生産意欲の低い奴隷でもできるのである。だからこそ、奴隷社会が発展したのである。王は都市にいて消費者として君臨し、農奴は奴隷として生産に従事するという都市文明が誕生したのである。

ところが、稲作漁労社会は王自らも労働を大切にした。農民とともに働く事が王の役割でもあった。「勤勉こそ最高の美徳」であったのが稲作漁労社会なのだ。それゆえおのずから都市の構造も畑作牧畜文明とは異なったものにならざるを得なかった。畑作民の都市は王が交易と消費を行うセンターとして発展した。これに対し稲作民の都市型集落は生産労働と密接に結びついたセンターとして発展した。たくさん米を獲るために種籾を分配したり、あるいは豊穣の儀礼をつかさどる祭祀のセンターとしての機能を強くもっていた。マルクスの歴史の発展段階論は西洋の畑作牧畜民の社会には適用できるかもしれないが、東洋の稲作漁労民の社会には適用できないのである。